八汐の隠し事
裏の林か庭か、今年の鶯の初鳴きは三月三日だった。梅より蝋梅の方が早く、馬酔木が真っ盛りだった。春風が強い。庇の樋は元々ない。風一陣で枝葉に埋まってしまうからだ。
代わりに雨落ち石が廻らせてある。日の出が早く、南寄りになる。雨落ち石に庇の影が並ぶ時刻の太陽は高くなる。八汐もどんどん早起きになる。
前の休日、淳を連れて画材屋に行って、油絵の具を買った。描こうとしている絵は暖色が少ない。駅ビルを上がって、初めて二人で食事した料理屋に入って天ぷら御膳を食った。赤ワインで乾杯してから。八汐はまた莫迦みたいになって淳に見惚れていた。
「僕が一生大人になれなかったら、母さんでも愛想尽かす?」
地階まで直通のエレヴェーターに二人だけで乗って口説いたら
「母さんでなくても愛想尽かす」
ビルを出ながら
「わかりにくい答えだ」
追い縋ると
「惚れた弱み」
「僕? あなた?」
黙って腕の中に収まる躰の背に腕を回して、繁華街を歩いた。晴々と得意で、行き交う二人連れによかったなと声を掛けたいくらいだった。