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愛しているの反対は「無関心」
以前は私も、毎日毎日、旦那が嫌いだとか腹が立つとか、帰って来るなとか、そんなことばかり考えていました。でも、思うんですよね。
ずっとその人のことばかり考えているのって、結局気になるからなんですよね。「嫌いだ」という関心を持っているということ。まだどこかで期待しているし、愛している。あきらめきれない。だからまだ頑張っているのだと思います。
本当に嫌いなら、もう気にもならない。本当にどうでもよければ、もう考えることもしなくなる。話すことも、考えることも、存在自体どうでもよくなる。執着がまったくなくなる。
「愛している」の反対は「嫌い」じゃない。「無関心」そうなったときがお別れできるときなんじゃないかなって思います。
私もそうなれるまで、ずいぶん長かった。ずっとあきらめきれなかったんだろうな。ずっと家族だと思い込んでいたから。家族の誰にも実は興味なんかなくて、自分が一番大切で、自分に逆らう者はたとえ家族であっても攻撃の対象となる。そんな人がいるなんて、どうしても納得ができなかった。
だけど、執着を手放してから離婚しないと、また同じような人と再婚をするという大失態を犯します、きっと。ちゃんと自分の中ですべて終わらせないと、この人生の課題を克服したことにはならないのだろうなと思います。
だから、お別れしたいならば、相手のことはもうきれいサッパリ忘れることです。後腐れなく。好きも嫌いも、憎しみも嫉妬も、憐みも同情も、何も感じなくなったとき初めて、何の感情も持たずにお別れできると思います。