いたずらな運命~信頼とエゴの狭間で~

柔らかな春の日差しが一転した。

ついに金融詐欺の容疑者として、警察が俺を突き止めたのだ。俺に聞きたいことがある、任意で話を聞きたい、と言って刑事が俺のマンションに来た。

俺はうまくかわしたい、と思い、なぜ刑事が来たのか、困惑して見せた。

だが、証拠がある、と言われた。

証拠は俺の指紋だと言うのだ。あの金融商品を売りつけるために訪ねた家の中に、俺の指紋がいくつもあったらしい。

しかし、なぜ俺の指紋とわかったのか? 俺には、前科はなかった。俺の指紋を誰が持っていたというのだ。会社の連中が誰かつかまったのか? だが、俺のことはあの担当者しか知らない。事務所に使っていたビルとパンフレットに記載されていた住所は違っていたから、事務所も知らないはずだ。どこから俺の指紋を手に入れたのか?

指紋が本当に俺のものだとどうして確認できるのだと反論したが、刑事は通報者が持っていたとは言ったが、名前は言わなかった。俺は、警察で事情聴取を受けることになった。

映画が成功したことで、俺にテレビや雑誌の取材があり、その結果、顔が知られるようになったのだろう。ヒゲをはやしたり、髪形も変え、気をつけていたつもりだが、結局は、

『面が割れたということか』と、俺は思った。つまり、通報者はテレビなどで見た顔が、あのときの営業マンだと気づいたのだ。

「おまえが詐欺をしたのは確実だ」と、警察は自信たっぷりに言い、俺も覚悟を決め、自白した。

マスコミはこぞって俺の事件を大々的に報道した。家族は泣いたに違いない。しかし、会いには来なかった。ついに起訴され、裁判が始まった。

やめておけば良かった。と、考えてもあとの祭りだ。しかし、そうしていたら映画の脚本のアイデアは浮かばなかった。俺は運命だと思い、裁判では正直に話した。

俺に対して、裁判官は好意的だった。なぜなら、俺は自分が犯した罪を隠すことなく認め、被害者には俺が手にした全額を返還し、さらに自分の財産を全て被災地に寄付すると言ったからだ。

「犯した罪は重いが、十分反省し、社会的制裁も受けたことを考慮に入れて、懲役二年、執行猶予五年の刑に処す」

というのが、裁判官が下した判決だった。

結局、俺は、晴れて自由の身となれた。

財産を全額寄付したことで生活は苦しくなったが、気は晴れていた。

しかし、耐えられない生活に戻りたくはなかった。だが、いい仕事には前科があるとつけないだろう。結局、俺には『脚本』しかない。

多かれ少なかれ、何らかの収入があれば、生きてはいける。だが、人生には楽しみがないと生きられない。『映画』こそ、俺の最高の楽しみで、人生だと改めて感じた。