一〇人足らずの集まりで故人の思い出を順に語ることになり、参加者の中で三人ぐらいであったろうか、何の作為も思わせぶりもないままに、涙を浮かべながら心底より彼女の早い死を悼む姿をまのあたりにして、来栖は素直に感動を覚えた。

故人について出席者が心を一つにして思いをはせるということで、しんみりとし、感動を覚えたということではなく、彼女を思いやる人たちの個々の思いそのものに感動したのである。肝心の百合のことでは同じ気持ちを共有できないわけだから、来栖としてはその人たちを羨ましいとまで思ってしまった。

生前の百合とは双方向で心が通い合っていたといったことは全くなかったはずだ。このことははっきりしていると思っていた。ましてや、彼女を恋愛感情や欲情の対象として考えたこともない。

ところがその後何気ない時に彼女のことを過去にさかのぼって想い起こすことがでてきた。

音楽サロンの会合で彼女と初めて会ってそれ相応の知己となって以来、人間としての彼女への敬意は持っていたが、彼女を異性として意識し、そこから恋情や欲望の対象と考える気持ちに至ることなど一時期であろうとなかったと、改めて確認するのだった。にもかかわらず、二宮百合からつき合いの申し出があったりしていればつき合い、相互に親密な関係を結べるような気持ちになっただろうかと、一度だけ自問の形で想像したことがある。

彼女への何げない思い出にふっととらわれた時、このような妄想めいたことまで思いついてしまった。

しかし、これも妄想の域を出ず、現実に差し迫った些事にかまけ、想像半ばですぐに他のことに思いは移ってしまった。彼女とつき合ったとしても、せいぜい淡い関係が短期の間続いて後は立ち消えになるだろうといったことぐらいしか思いつけなかった。

百合の『遺書』を最後まで読んで以来、彼女への考え方が変わってしまうところもあった。『遺書』の前半部で描いている夢の中の土地柄については百合と共有している思いがあるとまで思ってしまう。

それが嵩じて、この土地、この家並みには妙に懐かしいものがある、というような気持ちにまでなることもある。坂道が多く起伏に富んだ街路を彼女は夢の中で彷徨いながらその情景を叙述しており、その箇所を読んだときには、来栖も彼女同様デジャヴュの感覚に襲われた気持ちになったのはまぎれもない事実である。

彼女の手記から彼が連想したのは瀬戸内海沿いの港町である尾道で、この町は彼にとってなじみのある町だった。二〇代の終わりに差し掛かる頃だったか、健康増進のための趣味として始めた登山とトレッキングをしすぎ、健康増進どころかかえって股関節を痛め、その後遺症で悩まされたことがあった。

山歩きで転倒したり、短い距離だが滑落してしまったりで同じ体の部位を何回も固い岩肌や地肌に打ちつけてしまい、それが結局股関節の痛みとして残り、坐骨神経痛という根治できない病気も抱え込んでしまった。来栖は打ち身や神経痛の痛みを和らげるに適した温泉を医者に勧めてもらい、それでおよそ三年間ほど尾道へ湯治に通ったのである。