私達はそれぞれ無事卒業し、神﨑は大学院に進学した。ニホは、静真が卒業するまでの間、アルバイトをしながら自分で心理学の勉強をするつもりだと言った。私は母について回り、茶道や華道などを一通り習うことにした。海人は医師試験に合格し、都内の大学病院で研修医をしている。
一年ほど経ったある日、私は海人を家に招き、両親に紹介した。両親はこの男振りの良い医師の卵を見て大変喜んだ。海人が帰った後、父が、「大学に行って丁度良かったな」と言った。
父は元々、私が大学に行くことを良く思っていなかった。「女が大学に行ってもしょうがない。第一、高校を卒業してから花嫁修業をすれば、二十代なんてあっという間だ。池田家に見合う男がいなくなる」というのがその理由であった。
一方私は、高校卒業と結婚の間にもうしばらく自由な季節が欲しかった。二年では短すぎると思った。しかし父は、「子供を産むのは早い方が良い。行くなら短大にしろ」と譲らなかった。まるで血統書付きの犬の交配の話でもしているようで、私は腹が立った。
だが父と正面衝突をすることは避けようと思った。学費を出すのは父である。なんとか冷静に話し合って、大学行きを認めてもらおうと考えたのだ。
しかし一度、大喧嘩になってしまった。ある日、居間のテレビで大学対抗の駅伝を見ていると、W大がトップを走っていた。その時私が何となく、「W大もいいなあ」と口にした途端、父が、「W大なんか絶対に駄目だ!」と怒鳴ったのだ。
私は勿論驚いたが、そこにいた母と祖母も、お手伝いの鈴子さんも、父の突然の爆発に吃驚して飛び上がった。頭ごなしに怒鳴られて私もついキレてしまい、「絶対にW大に行ってやるから!」と言い返した。祖母が止めに入るまで私達は怒鳴り合い、その後何日もお互い口を利かなかった。
それをとりなしてくれたのは祖母だった。父は女性を見下している一方で、祖母の言うことはわりあい素直に聞くことが多かった。