アナウンサーにまっしぐら

「じいちゃんは、何にがんばったの?」

まだ小さかった孫が突然たずねた。何かにつけておとなに「がんばれよ」と言われているから逆質問してみたのだろう。ボクは、おぉよくぞきいてくれたね~、の(てい)。答えはきまっているんだ。

「うん、じいちゃんはな、子どもの時から好奇ちん(・・)が豊かでな……これ、ダジャレって言うんだ。正しくは好奇心」

「それぐらいわかるよ」

「じいちゃんはとにかく何にでも興味をもつ子どもだったんだ。だから今も趣味がいっぱいあるだろ!?」

「じいちゃんっていつも何かしてるもんね」

「で、じいちゃんがこれまでいちばんがんばったことと言えば……」

「ちょっと待って! 好奇ちん(・・)で思い出したんだけどさ、口の中にのど(・・)ちん(・・)()ってあるでしょ。あれ、女の子でものど(・・)ちん(・・)()って言うの?」

「ははは……面白いこと言うね。女の子ももちろんのど(・・)ちん(・・)()ださ」

「やっぱりそうだよね。友だちがふざけて別の言い方してたからさ」

「ははは、わかるわかる。言わなくていいぞ。でな、じいちゃんがこれまでいちばんがんばったことと言えば、アナウンサーになりたくていろいろ勉強して放送局の試験をいっぱい受けて、最後には合格したことなんだ」

「へぇ~がんばったんだね。どんな勉強したの?」

「うん、言ってもわかんないだろうけど、言葉のアクセントとか無声化とか鼻濁音とか、いろいろな」

「うわ~ボクにはちんぷんかんぷんだよ」

「うん、男の子だからちんぷんかんぷんでいいんだ」

「じいちゃん、きょうはとてもちん(・・)にこだわるね」

「ははは……じいちゃんはな、もともとがむしゃらにがんばるタイプの人間じゃないんだ。なまけものではないけどな。でもアナウンサーになるためには相当がんばったんだ。ま、じいちゃんが今まで生きてきて本当にがんばったっていうのは、これだけだな」

のど(・・)ちん(・・)()って、なんか、かわいらしい名前だよね」

―そうなのだ。何事にも楽観主義ふう、自然体で動いている男にとって、のほほんとしたままだととてもアナウンサーになどなれるはずがない。がんばらざるをえない、そしてたしかにがんばった時代がボクにはあったのだ。唯一の、と言っていいだろう。

〽光る光る東芝 まわるまわる東芝……のCMソングとともに、今夜もニッポン放送「フレッシュイン東芝ヤング・ヤング・ヤング」では前田武彦と高杉祐三子が楽しくおしゃべり、ラジオ関東では「ポートジョッキー」や、大橋巨泉と富田恵子らが軽口をたたく不思議な番組「昨日のつづき」が流れてる。

昭和38(1963)年、大学4年生の5月、国学院大出身のNHK新藤丈夫アナが学校に来て、アナ志望者にいろいろアドバイスをしてくれた。ボクが1~2分の文を読んだあと、新藤アナは言った。

「ずいぶん慣れた読み方をするね。声は少し弱いがマイクにはのる。ただアクセントにおかしいところがあるね」

これはいわば致命的な指摘だったのだが、ボクはその重大さを充分に認識できぬまま、“アナウンサー試験戦線”に突進していったのだった。

アナ試験、トップはフジテレビだった。