しかしその反面、依然として釈然としない思いが残ったのも事実で、百合のまなざしを思い起こすと、どういうわけか自分自身に彼女の似姿を重ね合わせてしまうようなこともあった。これは表情の浮かべ方とかの外見上のことでもあるし、性格上似通っているのではないのかという来栖の印象からきていることだ。
そのような思いを持つと、彼には世間でいわれる功利主義的な意図で百合が自分に関心を持つようになったなどとは信じられない。これは確信に近い思いでもある。来栖自身も品格のある上等な人間とは思っていないが、少なくとも損得勘定で今まで生きてきたことはないとは自信をもって言える。
しかしそれと同時に、その頃の来栖は自らと同類、もしくは自らの分身のような性格や性癖を持っているようだと思い込んだ人間に対しては、男女を問わず嫌悪感が先走って拒否反応を起こしてしまうというのも事実だった。相手が同類の者と判断してしまうと、軽いつき合いさえもしたくなくなってしまう。
ところが彼とは逆に、百合のほうはこの点で同病相哀れむというところにまで踏み込み、彼に親近感を持つようになったのではないだろうか?
百合の母親や兄の想像については余裕を持って斟酌できるようになったのだが、百合がこのような気持ちを持っていたのではないだろうかと想像すると、彼女に対しては何か嫌な感じが再びよみがえる。
そうすると、このようなことまで考えてしまう自分自身にも嫌な感じを持ってしまう。自身ではもう既に過去に捨て置いてきてしまったものに追いつかれ、一群のアメーバに肌の上を這い回られているような気分になる。
彼はその後も百合のことを思い起こすと、極端な嫌悪感とまではいかないまでも、彼女には哀惜と憐憫の情を少しは覚えても、それ以上に百合の自分への思いと、母親が言い張る彼女の恋心にはいつも大きな違和感を持ち続けた。