観光客1千万人と第2滑走路観光

産業の興隆を生み出した─仲井眞さんは沖縄県の観光産業を沖縄経済牽引の大きな柱と位置づけ、県知事選挙の一期目(2006年)から二期目、三期目と「観光入域客年間1千万人達成」を公約に掲げて対応してきました。その結果、2006(平成18)年度の入域観光客数は563万人だったが、観光客数は毎年増加を続け、2018(平成30)年度には待望の1千万人を達成しました。この間、各種の観光客誘致計画の策定、受入体制の強化、産業界との意思疎通などを実施してきました。

沖縄県の観光産業に対する思いを聞かせて下さい。また、那覇空港の第2滑走路の完成やターミナル施設、ビルの大幅な拡大、整備など、いまや那覇空港は、羽田、成田、関西、中部、福岡空港に次ぐ日本の南の玄関口としての基幹空港として大幅に変わりました。沖縄県の観光産業に対する意気込みと那覇空港の整備・拡大への思いを聞かせて下さい。

仲井眞 私は沖縄県の観光産業を、沖縄経済を牽引するリーディング産業になるように知事就任一期目から支援、お手伝いをしてきました。その基本姿勢は、「ウチナーンチュ(沖縄県民)のホスピタリティーと自然、芸能・文化などを活かした世界水準の観光・リゾート地の形成」でした。

そして10年後を目途に「観光客1千万人、そのうち外国人観光客100万人」とし、観光産業の振興を具体化するため、さっそく「ビジットおきなわ計画」の策定に取り組み、従来からあった沖縄県観光振興計画や国の振興計画、さらに「沖縄21世紀ビジョン」などにも観光産業の振興策を盛り込み、具体的な政策実現によって、今日の隆盛につながったと自負しているところです。

また、観光客の受け入れ体制を強化するため那覇空港などの基盤整備事業に着手するとともに、民間の協力を得てホテル、宿泊施設の強化などに取り組みました。

那覇空港の拡大・整備事業の中で第2滑走路は、国の第3次沖縄振興計画で初めて位置づけられ、第4次計画期間中には整備に向けた各種の調査が実施されていましたが、民主党政権時代は空港特別会計の財源が逼迫し着工の目途がつかなかった経緯もあり、また工期も7年の長い期間が示され、約2100億円の財源確保の目途が立たない状況が続いていました。

しかし、2012年12月に自民党が政権に復帰すると同時に安倍総理、菅官房長官及び多くの国会の先生方に強力に働きかけて工期を5年10カ月に短縮し、さらに事業費2100億円を沖縄振興事業費3千億円台とは別枠で計上することを約束してもらいました。その結果、第2滑走路は2020年東京オリンピック(後に延期)に間に合いました。第2滑走路予算が上積みされたことにより、沖縄振興予算は3千億円を超える状況が続き、2015(平成27)年度には3340億円を記録することになったのです。

事業費2100億円は単体では過去最高のプロジェクトであり、通常の沖縄振興事業費の枠外の予算ということになって、その後の建設部門活況の大きな推進力となりました。これにより、今後の観光客の増加や各種の経済効果を呼び起こすものと期待しております。