プロローグ
暗く濃いブルーの滝つぼは、地球の中心まで繋がっていそうなぐらい深かった。
岩の上に立つ男は、滝つぼを覗き込んだ。逞しい体には不釣り合いな童顔の大きな目から涙が零れ落ちた。
「みんな、ごめんやぁ。ごめんやぁ。わんは、みんなを裏切ってしまったよぉ。嘘ついてしまったよぉ。わんは、早く帰りたかった。静香のことが心配でたまらんかっただけっちょ。
何でも『うん』ち言うだけで、帰してくれるっち言われたもんだからやぁ。静香、ごめん。本当にごめん。怒らんでくれ。わん、死んでお詫びするしかないからやぁ。ごめんやぁ」
それだけ言うと、男は飛び込んだ。
「ごめんやぁ」という大きな声と大きな水しぶきの音が周囲に響き、やがて静けさを取り戻した。
ここの滝つぼは、昔から、どれほど泳ぎが達者なものでも、絶対に助からないという言い伝えのある場所だった。水面はいつもの穏やかな流れに戻り、再び男が浮かび上がってくることはなかった。
火の無いところに煙を立てろ
両側に飲み屋が連なるティダ通りを山側に進むと、突き当たりは少し雰囲気が変わる。どこか影のある建物が並ぶ。
「昔の女郎街よぉ。本当に賑やかで、船乗りさんたちも奇怪港に入港したら、ティダ通りの店で一杯飲んで、ここに直行してたんどぉ。それがねぇ、昭和の大火事でほとんど焼けたんじゃがねぇ。人もたくさん死んだ。幽霊が出るちゅうて人もあんまり近づかんねぇ。ただね、噂じゃけんど、奥の奥に一件、高級な料亭があるち聞いたことがあるっちばぁ。わんは行ったことも見たこともないけどねぇ」
公民館総務部長の山武士太助が、角ばった頬を緩め、残り少ない髪の毛を撫でながら、地区の数少ない若者を相手にして、自慢げに話していたことを川平順は思い出した。
「ねえ、何してるわけ。先に行くよ。今日ぐらい、革靴を履いてきたらいいのに。もう」
小柄で細身の身体ながら、五十歳を超えているとは到底思えない元気な三枝は、今夜の会食を楽しみにしていた。ティダ通りの一番端にある〔村人〕は、地物の魚を食べさせてくれる人気店だった。街に住む友人夫婦に誘われ二つ返事で了解したのが今夜だった。いつも自由奔放に行動している川平は、三枝の誘いを断るわけにもいかず、お供してきたのである。
「何言うわけぇ。スラックスにポロシャツ、ジャンパーにスニーカーは、わんのトレードマークじゃがね。慌てんでも〔村人〕は逃げんちばぁ」
建築現場では、絶対見せない優しい目で川平が言ったそのときである。黒塗りの高級車が、ゆっくり川平の目の前を通った。後部座席に座った人物は、川平でも何かの会合で顔を見たことのある人物だった。
「こんな人物が利用するところなんだ」と思いながら目で追い、川平は〔村人〕の戸を開けた。もちろん、このことが、後々、大きな意味を持つとは、夢にも思わない川平だった。