李は、権美子と結婚してまもなく、韓国のオッファー商が、韓国内の得意先にオッファーを取り次いで口銭を稼いでいたので、韓国に受け皿会社を設立することを思い立ち、取引で知り合った辛シンを含む三名の韓国の友人たちに五千万ウォンの出資を募り、資本金二億ウォンで、一九八六年二月韓国法人の共立貿易株式会社を設立し、辛を社長にした。

同時に、共立貿易は、共立商事と代理店契約を締結し営業を開始した。

初年度五億ウォンの手数料収入を目指したものの、新会社の船出は、予想に反し、韓国の得意先が、商社を変更することになかなか同意せず、また、新規取引も難しく、共立商事のソウル事務所のような形になり、一向に手数料収入は伸びず、李社長も、こそこそ女遊びをしていた。

一方、経営者としてのステイタスを得るために、李正真と、権美子は、会社の金を流用し、ベンツの中古車一台を社用車としてではなく、李個人の車として購入すると共に、李名義で第一カントリークラブの会員権一口と、李がルネッサンス・ホテル、妻がリッツ・カールトン・ホテルと二人でそれぞれ別々のホテルのスポーツ施設利用権を一口ずつ購入した。

いずれのホテルでも、スポーツ施設や、サウナが無料で利用出来るだけでなく、、エグゼクティブラウンジでの朝食も無料で、また二時間に限り会議室が空いていれば、無料で使用することが出来、部屋代も、レストランでの食事代も三〇%のディスカウントがあった。

その他、会社の金を引き出すため、接待費の名目で殆ど権美子が出費し、落とした金を闇金融に回し、年利三〇%の金利を稼いだ。

権美子は、共立貿易がスタートしてまもなく韓国で最も大きな極東食品株式会社に三田物産と組み、マレーシア産パーム油などの食品原料の売り込みを図っていた。

彼女は、頻繁に会社を訪問するだけでなく、毎日のように電話攻勢を掛けた。

極東食品の朴購買本部長は、取引は難しいと部下を使い、丁重に断り続けていたが、ミニスカートに身を包んだ才色兼備の女性を一度アタックしたいとの思いがいつも頭から離れず、遂に彼から会社に電話し、権美子を夕食に誘った。

電話の後、彼女は、夫の李に、Vサインで

「仕事を取ったのも同然よ」

と言って、満面に笑みを浮かべた。