少し突いてみた後、僕が手を添えてみると力強く握ってきた。

「お、お、お、女の子と、手ェ握ってしまった!」

ドキドキしていたら、ぐっと引っ張られ、身体と身体がくっついたので、抱きしめた。あんまりこと細かに書くほど僕は手慣れてないのでこのへんにするけれど、そうして僕は彼女とお付き合いすることになった。

初めての彼女だったから嬉しいし、楽しいし、大事にしたかったのに、そんな関係も2ヵ月で終わってしまう。

大事にしすぎで、物足りなかったのだろうか。彼女は高校のときの元彼のところへ戻っていった。その彼女とは、卒業後年賀状のやり取りくらいで、僕が結婚した次の年に元彼と結婚したと年賀状で知らせてきた。

思い出すと、ああ切ない……。プライベートでのあれこれもあったが、僕は高校時代と違い、短大ではとてもよく勉強した。福祉の勉強は嫌いではなかった。2年しかないし、現場実習もあるし、就職活動もしないといけない。

2年生の夏休みは一生懸命就職活動した。こんなにも活動したのは後にも先にもないくらいだ。5ヵ所くらいの福祉施設の面接と試験を受けたが、その最中にSLEの状態が悪化してしまう。M教授が、

「検査の結果が悪いね」

と言う。こんな大事なときに入院かと思ったら、点滴でステロイドを入れるパルス療法で様子を見るらしく安心した。入院せずに済むんだと医療の発達に感謝した。

でも、このステロイドパルスは僕にとっては身体に負担が掛かるようで、途轍もなく不快感が襲い、心臓がドキドキしたり、気持ち悪くなったり、立ち上がれなくなったりしてしまう。

本来、ステロイドパルスは服用に比べると副作用は少なく、効果は絶大ではあるが、僕の場合は辛い思いをしてしまう"諸刃の剣"だった。

帝京平成短期大学は在学時、社会福祉学科、介護福祉学科、看護学科があったが、「帝京平成看護短期大学」と名前が変わり、看護学科のみになった。

そして、2016年閉校。僕はここで必死に勉強して、千葉県千葉リハビリテーションセンターでの現場実習も真面目にやった。おかげで

「卒業後は働きませんか? 簡単な面接だけで良いので」

とお誘いを受けたほどである。丁重にお断りしましたけど。いまにしたらもったいなかったと思う。短大時代は何事も必死過ぎて、最後のほうは病気が再発してしまったけれど、入院はせずに済んだので単位も落とさずに無事に卒業できた。

2年はあっという間。え? 何で福祉の道を選んだかって? それは、僕は子どもの頃から難病でいろんな人にお世話になったから、こんな僕でも人のために何かできるのではないだろうかという思いからだ。

もちろん病気との兼ね合いもあるし、難しいのかもしれなかったが、M教授には

「やりたいことはやりなさい、病気のことは私に任せてくれ」

という言葉をもらった。