評価はどのように行われるか

評価のしかたは年度の初めに示される

教師が課題を出すと、生徒が「これ、成績に入りますか?」と聞く。教師は、「もちろん。授業でやっていることはすべて成績に関係すると思いなさい」と言う。だが、最終的にその課題が評価の対象にされることはない。教師にもそのつもりはない。

生徒もそのあたりを理解しているので、「『すべて』って、 先生のつまらないダジャレも(成績に関係するってこと)ですか?」と憎まれ口をきく。日本の学校でよくある場面だ。

授業で扱われることがすべて評価につながるというのはうそではない。直接評価の対象とされていなくても、学習の一環として評価につながることは多い。授業を大事にさせるために教師が先のように言う気持ちもわかる。だが、「すべて」と言われても生徒は困るのではないか。

何に重点を置いて勉強すればよいか判然としないからだ。自分が重要だと思っても、教師の意図は別のところにあるかもしれない。

学習目標が明確で、目標を達成するために自分は何をすればよいか、そして、結果はどのように評価されるか、これらが理解できて初めて学習に取り組める。教師と生徒が学習目標を共に認識していなければ、評価の意義は薄れるのではないだろうか。

オーストラリアでは学校ごとに「評価ポリシー」が策定され、生徒や保護者に公表されている。そして、教師はポリシーに則って教科の評価計画を立て、評価の観点や評価規準を設定する。いつ、どのような方法で評価するかも明確にし、それを年度初めに公表する。

日本では、こうしたことが大学では行われている。いわゆる「シラバス」と言われるものだ。

でも、義務教育段階ではまだ少ない。もっと一般的になってよいと思う。