まえがき

私がオーストラリアと本格的に関わるようになったのは1996年から。公立学校の教員をしていた私は、地元の国際交流団体を通じて外国人のホームステイを受け入れた。

ヴィニータというオーストラリアのメルボルンから来た女子大学生で、インド系のヒンズー教徒だった。家族ぐるみの異文化交流は初めてで、戸惑いもあったが、興味の方がはるかに大きかった。ヴィニータは日本での体験を満喫しているようだった。彼女のことは25年たった今も忘れられない。

私たち家族はヴィニータに続いて毎年のように外国人を受け入れてきた。その数は50人以上になるが、中でも最も多いのがオーストラリアからのゲストだ。

ヴィニータが滞在した翌年、私はオーストラリアに行く機会を得た。メルボルンの大学で行われた日本人教員向けの英語研修に参加したのだ。

偶然にもヴィニータが通っていた大学だった。私は彼女に連絡を取り、再会した。一年ぶりに会ったヴィニータは社会人になっていた。レストランで一緒に食事をし、彼女のアパートを訪ね、友人も紹介してもらった。前年とは逆の立場で私は異文化交流を楽しんだ。

研修では若いオーストラリア人夫婦の家に滞在した。英語漬けの3週間。研修はハードだった。黙って講義を聞くことはほとんどなく、ディスカッションやディベートで常に意見を求められる。もちろん英語だ。英語教師とは言っても当時の私は大した英語力も持っておらず、ネイティブスピーカーの中で生活するのに困らない会話力もなかった。

山のような課題が毎日与えられ、帰宅してからも夜遅くまで課題に取り組んだ。正直言って辛かったが、異文化との出合いの楽しさの方が勝っていた。「今日はどんな体験が待っているのだろう」とワクワクしながら毎日を過ごした。