別れ

声が震えないように、できるだけゆっくり言葉を運んだ。

さよならはいつだって自分勝手だ。それでいて投げた本人も投げつけられた相手も、相応の傷を負わなくてはならない。だからこそ。さよならだけは、わたしから切り出すことに決めていた。だが口火を切ったのは彼女のほうだった。

「私と別れたい。そうでしょう」

一緒にお昼ご飯を食べにいきましょうと誘うような、何気ない口ぶりだった。彼女はすべてお見通しだった。それほどまでに、わたしたちは互いを知り尽くしてしまっていた。

「気づいて、いたのか」

「心外ね。とり乱したり泣きわめいたりするのをお望みかしら」

自惚れていたわたしは黙っていた。真理は信用ないのねと口角を持ちあげる。

「いつからかな。私のまえでは笑っているけど、ふと横顔を覗くと、なにかべつのものを追いかけているときが増えたから」

彼女はふうっと息を吐いて、揺れるロウソクの炎を見つめる。

「分かっていたのにね。出逢った最初から、あなたはすでに守るべきものを持っていた。私が入る隙間は、きっとはじめから、どこにもなかったの」

わたしは熱を失っていくゴルゴンゾーラを見つめた。今日でさよならだとしても。これまでの日々を否定するようなことだけは、言わないで欲しかった。

「眞理。わたしは」

「約束を果たすときね。私たちは互いを束縛せず、それぞれの道に進む。ここまで仲良くやれただけでも上出来かな」

それはわたしたちが付き合った当初に決めた約束だった。もし将来の道が重なるのであれば結婚しよう。けれども互いの志が交わらなくなった、そのときは――

「私は諌くんについていくことはしない。私にも、追いかけたい夢があるから」

眞理は内科医としてアメリカに留学することを決めた。彼女は世界に通用する医師として、キャリアを積み重ねることを選んだのだ。

しかしそれを選べば、母のいる地元で医療貢献を考えているわたしとは相容れず、関係を続けることは不可能になる。彼女と将来についての方向性を探るうち、わたしは気づいてしまった。

いつからか、ふたりの関係の主語が、『わたしたち』から『わたし』に変わってしまったことを。

「分かっている。分かっているんだ」

仕方がないと諦められるなら、それまでのことだ。だが積み重ねてきた時間と想いは、簡単に割り切れない。その人でしか埋められない心の空白が、たしかに存在するから。人はなんどでも、恋に落ちるのだ。

「お互いの未来が重ならなければ別れる。それが約束だったし、これが自然だってことも分かっている。なんども自分に言い聞かせてきた。だけどやっぱり、好きなんだ。きみのことが」

夢見がちな少年は純粋さのまま想いを告白する。けれども運命の少女は、聞き分けのない少年に優しく手を振っていた。

「諌くん。店を出て歩きましょう。夜風で頭を冷やすために」