もっとも彼女が『手記』の中で『あのひと』とか『ただ一人のひと』といった言葉で匂わせているような人間が自分自身のことを指しているとは想像だにしていなかった。

そもそも彼女の叔父が運営していた音楽サロンに出入りしていた頃は、彼女のことを異性として意識したことさえなかった。ましてや彼女とつき合ったということなど全くあり得ない。

その頃の来栖は人妻とのつき合いにかまけ、他の女性に関心を寄せるという気持ちが湧かなかったし、その余裕もなかった。要するに百合のことは音楽サロンで世話を焼いてくれる女性としか見ていなかった。

百合の母親が娘の書き残したものをお渡ししたいと電話で伝えてきたときには、「娘のほうは生前あなたに愛情を寄せているようでした」とまで言われていた。このときにも戸惑いというか、それ以上に「面食らった」と感じるばかりだった。

ところが彼は日頃から相手に迎合してしまう癖がここでも出たのか、「では一度お訪ねしたいと思います」と言わざるを得ないような気持ちにさせられていた。それとも優柔不断の性格から出たことなのか、いずれにせよ来栖は応諾してしまい、二宮家での対話となってしまった。

その前に来栖は二宮百合が突然の病で二九歳の若さで亡くなったということだけは知っていた。これも人づてに聞いたことで、その当時は政経塾での修業で忙しくなり、音楽サロンに出席したりコンサートを聴きに出かけたりするのにもごぶさたの状況だった。

政経塾でも二宮守との個人的なつき合いなど生まれないままで、当然二宮家とは疎遠なままだった。二宮家から電話を受けた折には音楽サロンが定期的に催されていたのかどうかも知らないままで、今回の訪問は二宮家との関わりということでは本当に久方ぶりという気持ちだった。

場違いの所へやって来たとは思ったものの、応接間で百合の『手記』を読み進めてきたのだが、結局は本来読むべきではないものを読んでしまったという気持ちになっていた。途中で読むのを切り上げてしまったことについてはそのような事情があった。