京セラフィロソフィは、「人間として何が正しいか」を判断基準として、人として当然持つべき基本的な倫理観、道徳観、社会的規範に従って、誰に対しても恥じることのない公明正大な経営、事業運営を行っていくことの重要性を説いたものである。

物心両面の幸福とは、経済的な安定を求めていくとともに、仕事の場での自己実現を通して、生きがいや働きがいといった人間としての心の豊かさを求めていくもの。

また、常に技術を磨き、次々にすばらしい製品を世に送り出していくことによって、科学技術の進歩に貢献するとともに会社として利益を上げ続け、多くの税金を納めることなどを通じて公共の福祉の増進に貢献していく。

この経営理念を追求するための行動指針として、またすばらしい人生を送るための考え方として、日々実践に努めているものが京セラフィロソフィである。

1959年、稲盛和夫は京都セラミックを創業した。会社を始めたころは十分な資金もなく、立派な建物や機械もなかった。

ただ、家族のように苦楽をともにし、お互い助け合える心と心で結ばれた仲間がいた。そこで、稲盛は人の心というものをよりどころとしてこの会社を経営していこうと決心した。

それは、人の心ほどうつろいやすく頼りにならないものもないかわりに、ひとたび固い信頼で結ばれれば、これほど強く頼りになるものもないと思ったからである。

その後、この人の心をベースとして、稲盛は様々な困難に遭遇し苦しみながらもこれらを乗りこえてきた。その時々に、仕事について、また人生について自問自答する中から生まれてきたのが京セラフィロソフィである。

京セラグループは、世間一般の道徳に反しないように、道理に照らして、常に「人間として正しいことは何なのか」ということを基準に判断を下さなければならないと考えている。

人間として何が正しいかという判断基準は、人間が本来持つ良心にもとづいた、最も基本的な倫理観や道徳観である。

「欲張るな」「騙してはいけない」「嘘を言うな」「正直であれ」など、誰もが子供のころに両親や先生から教えられ、よく知っている、人間として当然守るべき、シンプルで基本的な教えである。

日常の判断や行動においては、こうした教えにもとづき、自分にとって都合がよいかどうかではなく、「人間にとって普遍的に正しいことは何か」ということから、様々な判断をしていかなければならないとしている。

今日の京セラの強さの源泉が、まさにこの経営理念、経営思想に凝縮されているようで圧倒される。