しばらくして、少年は婆さんの手を引いて出てきた。一目で生活のレベルが分かるが、彼女はその容姿に反して凛としている。この家には少年と婆さんの二人しか住んでいないのだろうか?
「誰ですかいの? この子は言葉を話すことが出来ません。ほれ、この婆もこの通りじゃ」
と、目の前に手をかざして上下させる。見えないというサイン。
「盗(と)るものは何もないけ、諦めんさい」
そんなことを言いながらも、怯えている様子はない。
「すみません。怪しい者とお思いでしょうが、何か食べる物を下さい。乱暴はしません」
頭を下げて願うのだが、少年にしか見えていないようだ。
「まぁだ寒いし、家に入りんさい。話があるのなら聞きましょう。食べ物が先か。ハハ」
韓国のハルモニ(おばあさん)と似ていて、心が深い方だと郭は思った。ふかした芋しかなかったが、大き目のを二つ手にして、口へ押し込んだ。
「武や。水をあげんさい」
少年の名は武というらしい。武は大きなどんぶり鉢に水を入れ手渡してくれた。
「ありがとう。甘い芋で美味しいです」
「あんた、日本人ではないようじゃな。この辺は、朝鮮半島の方から時々物や人が着きなさる。風の仕業か知らんが」
何かを思い出したように顔が曇った。
「迷惑は掛けません。すぐに何処かに行きます。私は、南の兵隊です。北を偵察中に追われて海へ逃げたのですが、雨風がひどくて漂流してしまいました。国に帰らねばなりません」
じっと郭の話を聞いていた武は、がっかりしたようだ。小さな溜め息をつく。
「武や。弘かと思うたか? 残念じゃのう」
と、婆さんもまた溜め息をついた。婆さんは"椋木キク"と名乗って、この家のことを話し始めた。武が生まれて五、六年は、目が見えていたこと。以前は、夫の"芳蔵"と息子の"弘"、嫁の"すず"の四人暮らし。慎ましいながらも平和な暮らしだったこと。
キクは今までの様を自分で思い出しながら、郭に聞かせた。