理事長の思い
数日前のことだった。その日、大村事務長を昼食に誘った柏原は、席に付いて料理の注文を終えるやいなや尋ねた。
「いきなりですが、まずは病院内、とくに事務部で働く人材について聞かせてください」
大村の方は、病院の経営状況の詳細などに先立って、そんなことを聞かれるなどとは思いもよらなかったらしく、驚きと困惑の表情を浮かべた。
「事務部の、人材、ですか……?」
「ええ、理事長として病院の事務や人事について知りたいので。もちろん、簡単で構いません。幹部のみなさんは以前からお会いしているので分かりますが、この病院の医療現場とはまた別の『現場』で働く方々について教えて欲しいのです」
じつは、同じことを柏原は木村病院長にも聞いていた。
「つまり職員たちについてお聞きになりたい?」
「そうです。彼らは実質的に病院を支える柱のような存在ですから。本来、病院というのは医療の拠点であり、医療の基本は『医は仁術』……利益よりも患者さんの健康や生命を最優先するべきです。しかし、こうした命題も病院自体が危機に陥ればつい忘れ去られてしまうことがあります。経営難のなかにあって利益は無視できませんから。
そして、病院の存続に目がいっていると、首脳陣も現場の人間も、どこかで本来の役割から目がそれていってしまう。『貧すれば鈍する』ですよ。つまり、医療の拠点としての病院そのものを成り立たせるためには、やはり『経営』がなければいけません。そしてその力になるのがバックヤードの『人』だと思うのです」
これを聞いた木村は「なるほど……」と答え、しばらく考え込んでいたが「あくまで私見ですが」と前置きをしたうえで、事務職員たちについて語り始めた。もちろん事前に準備していたわけではないからぽつりぽつりとだが、自分の印象や記憶を頼りに、多くの職員たちの名前を挙げては言葉をつないでいく。
柏原は、この院長は思ったよりも頼りになりそうだと思いつつその話を聞いていた。
柏原が知る上山総合病院は「滋賀県内で最大の私立病院」だ。事実、患者数も多く、設備も整っている。しかし一枚皮を剥いてみると、その内実はなんとも心許ないものだと分かった。広大な病院の建物や土地はすでにファンドの手に渡っており、賃料という名目で収入の10%以上が吸い上げられている。
慢性化した赤字体質に誰もが慣れきって、本当の意味での危機感などどこにもありはしない。経営の専門家ではない自分の目からみても、お世辞にもうまくいっているとはいいがたい状況だ。
ただし病人でいえば、この病院はなにをしても救えないような末期の患者ではない。たしかに重篤な状態ではあるかもしれないが、あらかじめ渡された資料を読み込んだところでは、十分打つ手はある。
「やはり、人が大切だ」
柏原はそう考えた。そのうえで自分なりに病院を建て直すためには3つのプランを実施していくことだと決めていた。まだまだイメージの段階にすぎなかったが、彼のなかではその具体化のために、それぞれのキーとなる人材を探さなければならないという気持ちがまとまってきていた。