「子ども」をどこから教育していくか
「子ども」に対して何らかの教育をするとき、まずその「子ども」の目標は何かを見極めます。そして、その目標が「子ども」にとって、自分の持つ力のなかでどのレベルにあると考えているのか、そのためのモチベーションがどの程度なのか、おおよその状態を把握する「ツカミ」から教育に入っていきます。
その上で、次に大切になってくるのが、ならばどこから攻めていくのがいいかを見極めることです。正攻法でいくのか、ちょっと「子ども」の意表をつくのか。今からか、後からか。強い目でいくか、ソフトな対応が良いか。
あるいは、その教育するときのシチュエーションは一対一なのか、一対複数なのか。広いグランドがいいのか、小部屋が良いのか。朝がいいのか、昼か夕方がいいのか。笑顔から入るのか、真剣な表情で入るのか。何か見せながらするのか、相手の気持ちを確認することから入るのか。最初に語りかける言葉を考えておくのか、その場で考えるのか……。
そのときの状況、内容に応じて自分なりの「カン」(勘)を働かせ、そのシチュエーションを組み立てます。
私の経験上、この最初の教育していく視点によってその後の教育の流れが大きく変わります。
もちろん、そのときどきで落ち着いて対応できないときもありますが、そんなときも一呼吸おいて、もう一度考えてみます。そうすると、違う教育の視点が浮かんだり、時にはそのまま何もしないほうが良いかもしれないと感じてその場を見守ることもあります。これは怖じ気づくのではなく、効果的撤退とでも言えばいいかもしれません。
長い間、教育に携わっていると、徐々により的確な判断が自然と身についてきますが、二つとまったく同じ対応はありません。
そう考えるとやはりこの世界、まだまだ奥は深いと感じずにはいられません。だからこそ「子どもの教育者」には他の世界にない大きな魅力があるのかもしれません。
一つ一つの教育を組み立てていく。そこに教育のやりがいを感じる