幹也を引き取ることを承諾して十日後、雅代は連絡を受けて志摩の鵜方駅まで幹也を迎えに行った。駅まで見送りに来ていた小学校の担任教師と児童相談所の職員の間に二年間で大きく背が伸びた幹也を見つけたときには駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られた。しかし、見送りに来た二人には深く頭を下げ、世話を掛けたことの礼を述べたものの、幹也とは口を利くことさえできなかった。戸惑いがあったのだ。

幹也は自分が腹を痛めて生んだ子であり理屈抜きに太い絆で繋がっているとの自信めいた思いと、決して幹也を捨てたわけではなかったが、あの事件が原因で結果的に母親として二年間も放置していたことを許してくれるだろうか。この子はあの事件のことをどこまで知っているのだろうかなどの思いが複雑に絡み合ったのだ。

駅で帰りの大阪難波行きの特急電車を待つ間も二人は口を利かなかった。電車がホームに停車すると雅代は「こっち」と一言言った切りだった。座席の番号を確かめると雅代は窓側の席に幹也を座らせた。動き出した電車の中で五分、十分と二人の間に気まずい沈黙が続いた。車窓から見える故郷の景色はどんどんと遠ざかっていった。

「お母さん、どうして黙っているの?」

雅代が黙っていることに焦れたのか、そう言って雅代を見詰めた幹也の不安そうな目に涙が浮いていた。

「御免ね。元気だった?」

雅代はそう言うと幹也の小さな肩に手を回して軽く引き寄せた。雅代の胸に何とも言えない愛しさが溢れた。幹也の睫毛が溢れ出る涙を支え切れなくなった。

「何も泣かんでもええや無いか」

バッグから取り出したハンカチで雅代は幹也の涙を優しく拭いてやった。この子の小さな胸も複雑な思いで一杯だったのだ。そう思うと同時に雅代から戸惑いやためらいの感情が吹き飛び母親の顔が戻った。

「これ食べる? 好きやったやろ」

雅代は、来るとき幹也の土産にと思い大阪難波の駅前で買った今川焼を紙袋から取り出して手渡した。

「大阪ではね、回転焼きって言うの」

「大阪ってどんな所?」

そう訊いた幹也に雅代はアパートの様子や住んでいる周りの様子を語って聞かせた。幹也は今川焼を食べながら黙って聞いていた。

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。