新隊員前期教育
旅行から戻って数日後の平成元(1989)年8月30日付けで、私は陸上自衛隊(略して陸自)に入隊した。
階級は勿論、最下級の2士(※陸士長、1士、2士の3階級を陸自では陸士と呼ぶ。なお、1士は1等兵に相当)。市ヶ谷駐屯地に集合してから数台のバスに乗り込み、新隊員教育隊のある横須賀の武山駐屯地へ送られた。
自衛隊に入隊して来るだけのことはあり、目つきが鋭く眉毛を剃ったガラの悪いヤツが多い。車内は満席になる程の大人数であったが、知り合い同士ではないためか、バスの中では誰もが終始、ほぼ無言のままであった。
"第1教育団第117教育大隊第326中隊第2区隊8班の班員"これが自衛隊での、私の最初の役職である。
班員は私を含めて8名いて、当時24歳の私が最年長だった。年齢をごまかして入隊し、後日それがばれて除隊させられた仲間が一人いたが、彼を除けば100名を超える中隊全体の中でも私が最年長であったらしい。
ちなみにその彼は、昭和61(1986)年にフィリピンで起きた革命に傭兵として参加し、市街地での銃撃戦に加わった経歴があるとのこと。話の真偽は不明だが、
「人の頭部に銃弾が命中するとスイカの実が割れるように砕け散る」
という生々しい話をしていた。年齢をごまかしてまで自衛隊に入ろうとしたのだから、軍事に関する仕事が余程好きな人なのだろう。入隊の数日後、我々新隊員全員が"服務の宣誓"をした。その要旨は、
「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、(中略)……事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」
という内容だ。そして、自衛隊の使命とは以下である。
「自衛隊の使命は、我が国の平和と独立を守り国の安全を保つことにある。自衛隊は、我が国に対する直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときは、これを排除することを主たる任務とする。自衛隊はつねに国民とともに存在する」
服務の宣誓については事前に十分な説明があり、強制はされなかった。宣誓するかしないかは、飽く迄も各人の意思による。そして、宣誓をすることで入隊が正式に決定付けられるようでもあった。服務の宣誓をした後、我々新隊員の指導役である班長たちから、
「これでお前たちはもう逃げられないぞ! 何かあれば、祖国日本のために命を懸けて戦わなくてはいけないんだぞ!」