夏祭り

漁火は花火が上がる間、開店休業状態で客は一人もいなかった。

それでも店を開けているのは、花火の跳ねたあとの客を当て込んでのことであった。ホステスの康代と沙耶はそれぞれ家族を伴い花火見物に出掛けるために店を休んでいた。店の中は美紀と奈美の二人きりだった。

「奈美ちゃん、貴方も花火を見に行っていいのよ。店番は私一人で十分だから。田舎の花火で大したことはないけど、スターマインもいくつか上がるわよ。花火が終わるまで客は一人も来やしないんだから」

カウンターの中から美紀が退屈そうにそう言った。

「いえ、いいんです。それよりママ、前から気になっていたのですが、この天井からぶら下がっている物は何なのですか?」

カウンター席のスツールに腰を掛け、奈美は天井からぶら下がっているラグビーのボールに似た透明のランプのような物を指で揺らしながら訊ねた。

「烏賊を釣るときの灯りよ。この灯りに誘われて寄って来る烏賊を釣り上げるの。漁火というわけよ。この店の名もこれから取ったの。東京辺りじゃ中々お目に掛かれないかもね。父の船についていた物なの」

「お父様は漁師さんだったのですか?」

奈美がそう言ったとき、バチバチバチッと先触れの花火の上がる音が浜から聞こえた。花火の音は美紀に遠い昔を蘇らせた。

「始まったようね……。うちの父はね、漁師としての腕は良かったらしいけど三十年ほど前に女で失敗して死んでしまったのよ。私がまだ小学校二年生のときだった」

「御免なさい。悪いことを訊いてしまったようで」

「いいのよ、もう昔の話……。花火が終わるにはもう少し掛かるわよ。コーヒーでも淹れようか」

美紀はそう言ってカウンターの隅に置かれたサイフォンを引き寄せた。

奈美は挽いたコーヒー豆をサイフォンに入れる美紀の赤いマニキュアの塗られた指先をぼんやりと眺めた。この人はあのマニキュアの塗られた手で客に酒を注ぎながらこの港町で生きて来たのだ。

結婚もしておらず子も無い。何を楽しみに生きているのだろうか。

なぜかこの前の寄付集めのときに川辺で見た儚い花と言われる黄色い花椿とママが重なった。同時に見知らぬ土地に来て何の縁も無いママに世話になりながら心に受けた傷を癒やしている自分もまた儚い浜椿の花なのだろうか。

女は皆浜椿のような一日花なのかもしれない。そんな考えがふと奈美の頭に浮かんだ。壁に掛けられたカラオケ用のディスプレイからは美紀の好きな八代亜紀の「おんな港町」が低く流れていた。

「父はね、女にはだらしがなかったようだけど、娘の私には優しかった。いつも魚の匂いがしていたの。都会育ちの貴方には魚の生臭い匂いは苦手だろうけど私には懐かしい父親の匂いなのよ」

サイフォンのコーヒーがポコポコと音を立て始めた。美紀が並べた二つのカップにでき上がったコーヒーを注ぐとカウンターには香ばしい香りが漂った。

「こんな花火の音を聞くとね、子供の頃のことを思い出すのよ。父の相手は同じ町の漁師の奥さんだった。父が自殺してその人はすぐ町を出て行ったけど、その人にも私と同じ歳の小学生の男の子がいてね。名前は濱田幹也って言ったわ。どんな話し合いがあったのか知らないけど、その人は子供を残して一人で町を出て行ったの。不倫した嫁の言うことに耳を貸すはずは無いだろうから、恐らくその子の父親が手元に残すと言ったのね」

美紀は訊かれもしない昔の話を語り始めた。