プロローグ

あなたの心は健康ですか。

今の生き方に満足していますか。

これらの問いに、迷いなく「イエス」と答えられる生き方を、あなたはできているでしょうか。

毎日の生活に追われて、「そんなこと考える余裕なんかない」とか、なんとなく「イエス」と言ってしまっているあなた。

あなたと、今ここで出会えた偶然を、私はとてもうれしく思います。なぜなら、心が健康であるという意味は、単に心の病に罹っていないというだけではありません。つまり、ストレスと上手に付き合い、自らの強み(strength)に気づき、生き生きとした生活を送れることをも意味している、というお話をするチャンスができたからです。

ストレスは人を成長させ、健康と幸せを呼び込みます。何を言っているのか意味が分からない? なら、ぜひ一緒に考えてみませんか。

これまでの心理学が、人間のネガティブな面に焦点を当ててきたように、今でも「ストレスは私たちに害を与える敵」という考え方の方が主流です。体調を崩して病院に行ったけれど、検査をしても異常が見つからないので、医師から、「ストレスによる自律神経の乱れでしょう」と言われたという経験がある人がいるかも知れません。患者の体調不良の原因が明確でないとき、医師にとっては、ストレスを悪者扱いしておけば、時に好都合な場合があるようです。

そこで本書では、ストレス=悪者の概念を覆すために、ストレスが持つポジティブな面にも焦点を当て、その効果を考えます。ストレスを受け入れる方法を身に付けられたなら、自分自身に対して、これまでとは違う見方ができるようになり、困難な問題への対処の仕方も変わることに気づいてもらいたいと思っています。

そうすれば、大変な時でもあえてストレスを良い面から捉えられて、人生の困難にも立ち向かっていけるでしょう。そして「心が健康な人」は、生き様にもその人らしさが現れます。そんな新しい考え方を手に入れることが期待できると信じています。

本書は、オーバー30(thirty)の皆さんを主な読者対象としています。もちろん、本書の根底にあるテーマ「心の健康」については、30代以外の人にも無関係な内容ではないので、いろいろな年代の方に読んでいただけるよう願っています。

オーバー30の皆さんは社会に出て10年余りが過ぎ、公私ともに充実した生活を送っている年代ですが、同時に人生においては様々な分岐点にさしかかっている時でもあります。職場では指導的立場になり、またプライベートでは、結婚、出産、子育てなど、幸せなライフイベントで一杯ですが、実は30代はクライシス世代でもあるのです。

20代の頃は若さを武器に、社会人としてただがむしゃらに仕事を覚え、こなしていく仕込みの時期だったかも知れません。その延長で、30代になっても日々を漫然と生きている人はいませんか。

30代を生きる者としてのアイデンティティは培われていますか。結婚を先延ばししているうちに、30代になってしまった、という人がいるかも知れません。

ここで一旦立ち止まって、皆さんが置かれた環境やこれからの自分について自問自答してみませんか。皆さんひとりひとりの中に潜んでいる、強みや勇気や可能性に気づくためのお手伝いをするのが本書の目的です。

筆者の私は、ストレス心理学の研究者であり大学教員です。いいえ、正確には、研究者でした。ある日を境に、すべてを失ってしまいました。心身の健康にだけは人一倍の自信を持っていた私にとっては、まさに青天の霹靂です。本書は、そんな私が経験した様々なエピソードで構成されています。

心の健康を予防することの大切さを、学会での研究発表や大学の講義を通して伝えてきた立場の私が、心の健康を失い、より深く「心の健康」について考える重要性を感じるようになりました。失意のうちに過ごす日々は苦しくとも、心の健康を失った当事者として、そして、心の健康の専門家として、二つの視点から本書の執筆に向き合えたオリジナリティを、今となっては誇らしく思います。

本書を手にして下さった皆さんの中には、冒頭の質問に、なんとなくイエスと答えた方や、心の健康について無頓着な方が、少なからずいらっしゃると思います。しかし、私自身がそうであったように、いつ誰の身に心の病は降りかかってもおかしくないのです。

私たちは日々のストレスによって、知らず知らずのうちに、身体的だけでなく精神的なエネルギーを消耗している可能性があることを認識して欲しいと思います。だからこそ、心の健康予防という能動的視点を持つことを、私は重視しています。

同時に、あなたがストレスだと感じるものの大半は、自分自身が作り出しているという考え方に気づくことも大切です。さらに、ストレスはなくてよし、あれば回避・逃避すればよし、という常識的で消極的な捉え方ではなく、ストレスは人が乗り越えるためにあり、人を成長させるために存在する試練の刺激であるという考え方についてもお話ししたいと思っています。

人は、失敗や挫折を経験しては起き上がり、幸せや生きる意味を知ります。そして人は本当に心が健康であって、はじめて、仕事の価値や人生の意味を知ることができるのです。「心が健康」であるという意味の奥深さを感じて欲しいと思います。

各章における私自身の経験談の中に出てくる人物は実在する人たちです。対象者が特定できないようにモディファイしてありますが、すべてノンフィクションです。私の「七転び八起き」ストーリーをどのように受け止めて頂けるか不安ですが、少しでも皆さんの身近なテーマとして考えるための手助けになっていれば幸いです。

今の生活に、なんとなく満足できない。自分の抱えている問題のせいで、生きがいのある人生が送れない。これまでの人生での、つらい経験をすべて魔法のように消し去れるものならそうしたい。そんなふうに思っている人も、そうでない人も、あなたの人生は一回きりです。そして、これからまだ人生の約3分の2を生きるのです。同じ生きるのなら、悔いのない人生を送りたいものです。

あなたが主人公の自分物語は、とっくに始まっていますよ。今こそ少し歩みを緩め、ストレスと上手に付き合う方法を手に入れて、あなたの「人生の意味」を一緒に考えてみませんか。