謎の訪問者、目的は?

ハルさんは半年くらい前にやって来て、この家に置いて貰えないかと言った。

「取り敢えず、事情を聞かせて貰わないと」

三和土に立つ姿は同情を引いたが、はい、と即答はできない。

「上がって貰うたら。この雨やし、肩も足元も濡れてはるわ。そのままやったら風邪をひいてしまうで」

和枝がタオルを持ってきて、老婆に渡した。老婆は深々と頭を下げ、着ていたジャンパーと靴下を脱いで土間に置いた。

「ほんまに、すまんことです。それもこんな急に訪ねて来て、ほんまに迷惑なことやて思うてます」

外がよほど寒かったのか、老婆の手の甲は赤く腫れたようになっていた。

「あては長いこと、二人の孫を育ててきたんやけど、二人とも家を出て行って。元気なうちは一人で何とかやってましたんやけど、ここんとこ足腰が弱ってしもて」

老婆は和枝が渡した湯飲みを丁寧に抱えて、ふうぅと息を吐いた。

「葵ちゃんのお祖母さんは、ほんまにええ人でした。いつか恩返しをしたいと思うてたのに、亡うなってしまわれて……。お父さんも心根の優しいお人で、困ったらいつでも来たらええ、そう言うてくれはって。その言葉に甘えてしもて……。ほんまに申し訳が立たへんです」

情けは人のためならず。それが父の口癖だった。ハルさんは八十そこそこだろうけど、腰は曲がり日々の生活が楽ではないのがその様子で分かった。そんな人を無下にもできず思案の末、和枝の顔を伺った。

「わたしの一存ではどうもできへんけど、わたしはここに住んでもろうてええと思うわ。もう八十を越えてはるみたいやし」

ゆっくりと頷いた。この先、介護という重荷を背負うことになるかもしれないが、その時はその時だ。父の口癖に添うのも父への供養かもしれない。

ハルさんは小さい体をなお縮め、何度も頭を下げて帰って行った。仕事から帰って来た希美さんに打診すると、葵がええと言うのなら、と承諾してくれた。

あの日以来ハルさんはここに来ないまま、今日の親子連れのいきなりの来訪だ。

「ここに置いて下さい。私ら親子はここしか行くとこがあらへん。お願いします。お祖母ちゃんといたアパートを、もう引き払ってしもたんで」

私たち三人の顔を交互に見ながら、レナは何度も頭を下げる。そのうち遙太がお腹が空いたのか、ぐずり出した。和枝がロールパンを渡すと、遙太は口いっぱいに頬張った。

「子どもは朝ご飯をちゃんと食べささんと、しっかり大きくならへんよ」

私と希美さんは、さすがや、と言いながら頷き合った。かつて和枝は、ばぁばと呼ばれていたのだ。希美さんは孫が居たのか、結婚していたのかすら分からないが、私が孫と呼べる子を抱く日は生涯を通じてやって来ない。

お腹が膨れた途端、またもや走り回る子どもを為す術もなく見ながら三人揃って溜息が出た。取り敢えず、ハルさんのために用意していた部屋に案内した。廊下の突き当たりで、祖父が書斎として使っていた。部屋の近くにトイレがある。

足腰の具合が悪いと言っていたハルさんにちょうどいいと思っていたが、子ども連れには尚更ぴったりだ。七部屋もあるこの家は、大人ばかり三人の生活には広すぎだ。レナ親子が来たら、平穏で静かな暮らしが変わってしまうかもしれない。

杞憂はあるが一旦は引き受けると決めた以上、懐を広げるしかない。

「レナ。アンタはホントに恵まれてるよ。和枝さんは温情家だし、葵さんは来る者は拒まずだし。でもアタシには冷たかったんだからね。一回目は玄関払い、二回目なんて門前払い。三回目でやっとお許しが出たんだから」

「そんな、冷たいやなんて。わたしら、そんな態度を取った覚えはないんやけどなあ」

まあ、そうしときましょ。日頃は何かにつけて意見を言いたがる希美さんが、いつの間にか受け入れ態勢に入っている。

「アンタがインターホンを鳴らさなかったわけがアタシには分かるよ。必死だったんだね、アンタも」