レナは口を開きかけたが言葉が出てこないようで、膝に付くくらい頭を下げた。

「そしたら先ず紹介するわな。この人が和枝で、ここの筆頭主婦。分からへんことは何でも、和枝に聞いたらええわ。希美さんは働いてるから、できるだけ迷惑かけへんようにね。私も週に三回、デイ・サービスで働いてるけど」

はい。レナは希美さんをちろっと見て、頭を下げた。

「あれを見たら分かると思うけど、仲良く暮らすための約束事だからね。きちんと守ってよ」

希美さんが、壁に張ったルール表を指さした。

◎シェアハウスのルール

①自分の部屋の掃除は各自、責任を持って綺麗にする。

②トイレ・浴室・ゴミ出し・廊下玄関の掃除は決められた当番どおりにする。

③夜の九時以降は、各部屋に引きあげる。リビングを使えるのは十時まで。

④最後に部屋を出た者は、ちゃんと電気を消す。風呂場、トイレも忘れずに。節電第一!

⑤火の元は各自しっかりと確認する。責任の押し付け合いはしない。

「お風呂は一応、順番制にしてるけどその時の都合で交代もありやからね。まあ、子どもさんがいてるから先に入ったらええわ」

希美さんも私も、異存がなかった。

「食事作りは当番やのうて、和枝が作ってくれるから。このおばさんが何かと面倒見てくれるからね」

おばさんと名指された和枝は、ちらっと私を睨んでから、まかしといて、と胸を張った。和枝がここに来て以来、一度として手抜きの料理を出されたことがない。

「息子夫婦が帰って来て、自分の身の回り以外の一切の家事をさして貰えへんようになってん。台所なんて、嫁が呼ぶまで入られへんかった。何か、居場所と仕事が無くなったみたいで――。私は料理だけは得意やったから、それがいちばん辛かったわ。元夫は知らん振りを決め込んで、嫁の機嫌ばっかり取ってた」

和枝がここで食事の支度に心血を注ぐのは、ここに辿り着くまでに余ほどの辛い出来事があったからだろう。レナはふんふんと頷き、遙太は期待を裏切らずソファの上で飛び跳ねる。

「落ち着いたんだから、とにかく朝ご飯にしようよ。まさかこんなアクシデントがあるなんて、とんでもない一日の始まりになったわ」

希美さんは口ほどにもなく、遙太ににんまりと笑いかけた。家が広いと外からの音も聞こえず、隔離されたような生活がこの先も延々と続くだけだと思っていた。

それが今朝は、遙太のまだ幼児語が抜けきらない声が響き、牛乳が零れハムが床に落ちる。大人三人がはらはらしながら見守り、レナの遙太を叱る甲高い声が響く。

静寂をいきなり打ち破る雷雨のように、状況が一変した。とんだ一日が始まった。