中井①

エントリーは三十二人。トーナメント形式だと五連勝で優勝である。だが中井は一回戦不戦勝だったので四回勝てばよく、極めて優位なドローだった。大会側の見えない力が働いたのかは分からない。

今となっては不毛な議論である。二回戦(中井にとっては初戦)は多少の緊張もありやや梃摺ったが、それでも見事に勝ち切り白星発進。三回戦は堅さもほぐれ実力を発揮し圧勝。そして四回戦は準決勝である。対戦相手が当時の日本人トップである事から、トーナメントディレクターを始め大方のテニス関係者は、この対戦が事実上の決勝戦であると踏んでいた。混戦が予想されたがはたして結果は中井の完勝。相手選手が三十五歳のベテランという事もあり、試合観戦者には新旧交代を強く印象付ける対戦となった。

試合は、準決勝が土曜、決勝が日曜。いずれも一時試合開始。中井は土曜の準決勝をストレートで勝っていたので十分に体力が温存でき、決勝には万全の体調で臨めていた。優勝の可能性は存分にあったのだ。

当時この放送を予定していたテレビ局は『TV亜細亜』。残念ながら民放各局の中では小規模かつ弱小だ。さすがの中井も、NHKや大手の民放テレビ局を独占するまでの力は無かった。さらにそのテレビ亜細亜が用意した時間枠は四時から六時という何とも中途半端なもので、しかも日曜日のみだった。何故生中継でないのか、いや欲を言えば何故土曜枠も取れなかったのか、当時の中井にはどうしても理解できなかった。

所謂大人の事情、大人の判断だった。生中継はリスクを伴う。不測のアクシデントによる試合の中断などがあると、放送時間枠を超えてしまう可能性がある。そして何よりもTV亜細亜が恐れたのは試合内容だった。中井が放送二時間枠の中で完勝してくれる事が一番だが、その保証は無い。TV亜細亜はそれらのリスクを回避した。結果それは正解だった。放送には二重三重の保険が掛けられていたのである。