ステージ1「やってほしい」こと〇〇を深く考える

ステージ1で考えること

親御さんがお子さんに「やってほしい」こと=〇〇を、ゲームのように強くする前に、きちんと〇〇について考えていきましょう。

なぜ〇〇を「やってほしい」のか、親御さんの考えを、しっかりとまとめる必要があります。何となくやらせたいくらいでは、お子さんの「やる」には届かないことを、ゲーム制作では嫌というほど思い知っています。

お子さんに「やってほしい」こと=○○は、簡単にできるお手伝いのようなものから、将来役に立つ武器になるようなものまで、いろいろなケースで考えられますが、本書に興味を持たれた親御さんの考える「やってほしい」○○は、お子さんの将来を考えた事柄が多いと思います。「子どもにやってほしいこと? そんなの勉強、もしくは習いごとに決まってるでしょ!」と即答されるかもしれませんが、簡単に結論づける前に、いま一度しっかりと考えたほうが後で困らなくなります。

なぜなら、「勉強しなさい」や「習いごとを頑張りなさい」だけでは、その意味が広すぎて、実際お子さんが具体的に何をしたらいいのかが曖昧になることが多いからです。「やってほしい」○○を仕掛ける親御さん側が、「何となくやらせたい」くらいでは、言われている方は無視したり取り違えたりするだけです。それを避けるためにも、「やってほしい」側が○○を明確にする必要があります。簡単な例を挙げてみます。

■「やってほしい」○○で、曖昧に感じる箇所

ちゃんと勉強しなさい

「ちゃんと」ってどのくらい? どこまで?

「勉強」って特定の科目? それとも全科目?

机に向かって「勉強」を試みればいい? テストで結果を出せばいい?

ピアノを頑張りなさい

「ピアノ」という言葉に求められていることは? 何かの曲が弾けるまで?

「頑張る」って休まないこと?

勉強は、しなくてもいい?

それとも日々の練習時間を増やすこと?

例にある表現だと言われたことの範囲が大きすぎて、達成したか否かの条件や日々やるべきことなどが「やってほしい」と言った側にしかわかりません。

そのため、お子さんは「やったのに」できていないと言われ反発する、「やったふり」をして親御さんの顔色をうかがう、「やったつもり」で勝手にやめてしまうなど、すれ違いのトラブルを数多く招くことになるわけです。

まずゲームでは、やってほしいことを決して曖昧にしません。ゲーム中に「ステージをクリアするためには、ちゃんとやってね」と出されても、話が通じないでしょう。

ゲーム内では「やってほしい」ことを明確にするだけでなく、やり終わった後で「うまくいった」「うまくいかなかったという結果も明示します。「ステージ1クリア」とか「1面クリア」といった言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、区切りをつけて、敵を何体倒したのかアイテムを何枚獲得したのか、などの結果を表示します。

つまり、クリアのための条件「どうやったら成功と認められるのか?」を示す必要があり、この明確さがゲームが支持される一因になっています。親御さんの「やってほしい」ことも同じです。目指すべき目標やそのためにやるべきことや順番などをお子さんと共有し、結果に対して的確にフォローできれば、お子さんはもっと○○をやりやすくなると思います。

そしてゲームは、制作現場でも同様にやってほしいことを曖昧にしません。「遊んでほしい」「やってほしい」と考えている箇所は、つくる側がよく考え、自信を持って提供している部分です。そのために、「やってほしい」ことをあれこれ広げないことや明確にすることを重視します。

その曖昧にしない例として、つくりたいゲームを「〜みたいなゲーム」とは説明しない、というのがあります。「テトリスみたいなゲーム」「マリオみたいなゲーム」などと、チームや会社に明確に説明できない状態ではプレイヤー側には何も届きません。

親御さんの「やってほしい」○○は、「〜みたいな」という言いまわしにはならないかもしれませんが、「周りのみんながやらせている」とか「それをやらせると良いとよく言われている」といった理由で決めたとしたら、もう一度考えてみる必要があります。

ゲームにはジャンルごとにさまざまな種類や特性、つまりは個性が存在するので、制作の手法もその分だけ数多くあります。ただし、タイトルの個性ごとで進め方に差はあっても、ゲームの面白さなどの本質へのアプローチは大きくは変わらないので、そこを押さえていきましょう。

この本を読んでいる親御さんが実際に「やってほしい」○○にも、お子さんの能力や性格、環境の違いなど、いろいろなケースがあると思いますが、同じ「やってほしい」をクリアするために行うゲーム制作の考え方が、○○を考える上での何かしらのヒントになると信じています。