時計の持ち主は、やがてこの時計は壊れているのだということに気が付き、もう秒針を合わせたりしない。使用することをやめ、放って置く。しかし、時計自身はその事実がなかなかわからない。
一生懸命、一秒一秒針を動かそうとしても狂ってしまう。電池が入っている限り、どんなに狂っても動いてしまう。その電池は、私の中にある心臓と同じような気がする。
とっくに壊れているのに、心臓が動き続ける限りどんなに狂っても動いてしまう。壊れているとわかっていても動き続けるのだ。壊れた時計が、自分で電池を外せないのと一緒で、壊れた私が自分自身で心臓を止めることはできない。電池を外すという意思を持った者が時計の持ち主だとしたら、私の心臓を止めるのは大いなる意思を持った運命というものに他ならない。
そうだ。壊れた時計を救うことができる手段は修理だ。私も自分を修理すればいいのだ。ではどうやって。もしかしたら、私は東京まで修理のために来たのだろうか。
修理。私にとってどんなことが修理に繋がるのだろうか。「蓮ちゃん今は壊れているけれど、ちゃんと修理すれば治りますからね。そのためにはここでこういうことをするととても効果的なのですよ。だからまずはこれをやってみなさいね。そしたらちゃんと元に戻りますからね」そういうことを誰かが優しく言ってくれたらどんなに楽だろうか。