翌木曜日、思った通り澱川沿いを歩く長蛇の捜索隊があった。
(これでみつかる。みつけてもらえる。こんな姿で、ごめん、かあさん)
ところが、サクラの現場から、あと五十メートルというところで、急に先頭が止まった。先頭の案内人がトランシーバーで話している。「追分から、きつね温泉跡へいく立ち入り禁止区域で、足跡がみつかった? そこの捜索に人を回すようにって……」
先頭の案内人は躊躇しているようだったが、きびすを返して遠回りで指示された現場に向かった。
(今日じゃないのか。明日は、捜してくれるんだよな)
見上げるとヘリコプターも飛んでいる。
(ここだよ。みつけてくれよ。俺はここにいるよ!)
身体が動けば……。太陽光線にかざせば光る反射板も持っているが、もうサクラの肉体は動くことはなかった。
捜索三日目金曜日。前日から次兄・イオリが来てくれた。母は案の定、喘息発作を起こし病院で点滴してから行くことになった。鬼塚には長兄・ヒョウゴも来ている。二人とも平日なのに、わざわざ関東から来たのか。今日こそ!
炎天下の中、母とイオリが来るころ、打ち切りの様相が強くなった。
(ウソだろ。まだ、澱川を全部歩いてないじゃないか)
警察の地図を覗くと、捜索した道は蛍光ペンで塗られている。そこは、すでに昨日、サクラがいた場所も通って捜索したことになっていた。一度捜索したところは二度は歩かない。
七十二時間のタイムリミットが過ぎ、警察・機動隊・陸上自衛隊・消防団の捜索は終了した。
土曜日、日曜日、サクラを捜すために兄のヒョウゴもイオリも登った。体力のないヒョウゴは日曜日は登らないかわりに、竹谷温泉から自動車道を三時間もかけて歩いた。イオリは左衛門小屋でサクラを大声で呼んだ。
(兄貴、イオにぃ、ごめん。そこじゃないんだ。イオにぃ、もう少し先なんだよ。地図で「左衛門小屋」って書いてある「屋」のあたりなんだよ)
地図上では左衛門小屋の「佐」のところに左衛門小屋があり、「屋」のところは絶壁で澱川に滑落しやすい場所となっていた。
翌週、父・良典が登った。左衛門小屋への往復だけで足腰がくだけた。
「サクラ、ごめん。おとうさん、捜せなかった」
(おやじ……)
それから、父母は毎日ポスターを貼ったり、ビラを配ったりした。
翌週の一斉捜索も、澱川付近に行くことはなく、みつかるはずがなかった。
さらに父は、その二日後、サクラが行くはずだった登山計画の道を制覇した。
(もう、これ以上、両親を苦しめられない)
武蔵山脈には、単独で山を愛し武蔵山脈を愛し、時々登って、捜索しながら歩く人たちがたくさんいる。誰かが近くに来たら……。
サクラが行方不明になって、十九日目の土曜日だった。澱川から少し離れた登山道を歩く、六十代くらいの男がいた。ベテランの彼は迷うはずなどなかった。ところが……。
男は、澱川付近で通常なら出ない場所に来ていた。今日は澄み切った空、良い陽気。歩きやすく見晴らしも良い。何故、こんなところに来てしまったのか、戸惑っているようだ。
彼の目に、少し大きめの石の近くに茶色の登山靴が映った。近づくと!
「ひ!」
彼は一瞬腰を引いた。まわりを見回すと青い空の下、遠くに「うさぎの耳」と呼ばれる峰が見える。うさぎの耳まで行けば、帰り道がわかる。そして、このことを知らせなければいけない、と彼は思った。
(ありがとう)
サクラは男に頭を下げた。