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社長に復帰するも困難を極めた食品事業の立て直し。
実は、代行社長は、辞めた男子社員の一人にコンピューターによる納品書作成の操作をすべて任せていたので、彼が出社しないと仕事が進まない。
彼に弱みを握られていたのである。なぜ他の社員に任せないのかと代行社長に尋ねたら「女子社員に断られた」とのこと。人が良い代行社長なので足元を見られて強く言えなかったらしい。
早速二人の女子社員に事情を説明して、コンピューターの操作をしてもらうことにした。意外と素直に応じてくれた。時々遅刻をしていたコンピューター担当の社員はすぐ辞めて行った。
一年後には、私が指揮を執っていた以前の体制に戻った。ワンマン体制と言っても月次試算表を開示して私自身も公私混同を慎み、先頭に立って仕事を遂行する姿を見せていたので職場に活気が出てきた。
しかし、カップみそ汁の売上げが下がるのにつれて、業績は徐々に下がっていった。当社の大手得意先が、テレビ宣伝している大手メーカーに次々と売上げを侵食されていったのである。
早く新製品を出して巻き返しに走らねばならないと考えて、数種類の新商品を発売したがヒットしなかった。一九九二年の後半あたりから加熱した日本経済にブレーキをかけるために金融引締めが行われ、いわゆるバブル崩壊が始まった。
銀行の貸剝がしにより、あらゆる産業がダメージを受け、破綻する企業が続出した。当然、食品市場の消費が冷え込み、当社の売上げにも悪影響が出てきた。
まずい、このままでは。何とかしなくては大変なことになる。
付き合いの深い銀行が「貸剝がしの鬼」に豹変。
実は、上野ビルディングは、上野食品の無借金で好調な業績を良いことに、テナント、ビル、アパートからの家賃を当てにして、千鳥町の五階建てのビルだけでなく等々力にも二億円かけて敷地百坪のアパート兼社宅を建設し、銀行から九億円を借入れ、内部資金も合わせて総額十億円を投資していた。