「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉は好きになれませんでしたが……高校時代に英語の先生から、この言葉の最後には「why(なのになぜ)」という言葉がかくされているのだと聞いた時、言葉の深い意味とこの言葉がなぜ愛されているのかもわかりました。
私が医者になりたいと思ったのも、障害を持った子供たちを少しでも自分がしてもらったように治すことができたらと思ったからです。
しかしそれも三浪の後、医者になれず歯科医師になってしまいました。よく考えてみたら挫折の多い人生でした。何にも取り柄がなく能力のない男がここまでやってこられたのも、ただ運がよかったのと両親や周りの人に恵まれていたからだと思います。
もしもう一度人間に生まれるとしたら、スポーツや歌で活躍してみたいなあと思いますが、私自身は結果的に恵まれていたと思います。
仏縁にも出会ってもうこれ以上望むことはないですが、こうしたいという夢はあります。その私の夢とは、障害を持った人が障害を克服したり残された能力を活かしたりして、親に頼ることなく自立できる施設や社会をつくることです。
もちろん寝たきりで知的障害などから自立できない人も多くいると思いますが、聖徳太子が設置したという四箇院を現代で実現するためには、まず国家が健全でなければなりません。
しかし国家が健全になりそれが実現されれば、これほど安全、安心で住みよい国はないと思います。
世界のどこの国からも行きたい国のナンバー1になると思います。もう一つ欲を言えば、雪からエネルギーが作れることができれば完璧です。
そんな健全な国や郷土になってもらいたいと思い、自分なりに考え、批判・中傷を受けるのは覚悟の上で書かせてもらいました。