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Ⅱ 株式会社小松電子工業

ここで株式会社小松電子工業の概要について記しておこう。

株式会社小松電子工業の初代社長小松修一は大手電子機器メーカー「株式会社A&Z社」の下請として基盤を製作し納入していた。

客先からの品質・納期などについての信頼も厚く、業績も順調に推移していた。しかし修一は60歳のときに、急性心不全のために突然死去してしまった。急遽妻の伸子が形ばかりの社長の座に就いた。

しかし、伸子は典型的な家庭婦人であったために会社運営については素人であったこと、支える番頭的な者もいなかったことから、1年後に長男の誠が跡を継ぐこととなった。

小松誠はS工業大学の電子工学科を卒業した。当時は買い手市場の就職難の時代であったが、父の会社の取引先であったことから「A&Z社」に就職することができ、そこで汎用事務機器の電子回路の開発・設計を担当することとなった。

設計業務で2~3年経過した頃から、設計部内での小松の動きは他の部員と明らかに少し異なってきた。

その行動とは、設計室内でパソコンに向かって設計業務を行っている時間よりも、工場に行って作業者から作り方の説明を受けたり、設計に対する要望や改善点などを聴いて回ったりしている時間の方が長かった。

また社外に出てユーザー(納品先ではなく実際に使用している顧客)の要望・使い方・不満などを聴いて回っていた。これらに費やす時間は設計に要する時間とほぼ同じであった。

小松がこのような行動を起こすキッカケとなったのは、新製品の開発設計時に提示された企画書に基づいて設計し、それが商品化されて市場に出たあとに、顧客からさまざまな要望があり一部設計変更を余儀なくされてきたことが、多々発生していたことであった。

小松の設計は徐々に市場から好評価を得ることができるようになり、その行動は部内の設計行動にも取り入れられるようになってきた。そのような折、突然の父の死により退職して家業を継ぐこととなった。

小松誠32歳のときであった。家業に入った当時は、母伸子の社長業を支えながら、経営状況の全般について見渡し、同時に次のステップに向けた思考を張り巡らせていた。