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生きる意味について

さて四〇〇年ほど前、農民にとって命ともいえる貴重な農業用水を確保するため、様々な困難をのりこえてこの天狗岩用水が作られた訳だが、長い時代の流れの中で老朽化に歯止めをかけようとする先人たちの努力もさることながら、その間の自然災害を未然に防ぐことは不可能だった。

そのたびに用水のあちこちに亀裂ができ、十分な農業用水の確保が再び困難となり、昭和六十三年、県は灌漑排水事業として、およそ十一年に渡る大規模の全面的改修工事を行うことになったのである。それはこの灌漑用水をできる限り長期に耐え得るように、水路の内壁をすべてコンクリート三面張りにして、水の侵蝕を防ぎ、流れを急速にし、且つ安定した水量を供給することであった。そして最後の工程として用水の東片側の側道を散歩道として新たに整備するという計画であった。

翌年、爽やかな春風の吹く五月に入り、改修工事は始まった。その後しばらくしてから私たち家族にある知らせが届いた。

灌漑用水の開削工事で作業員の一人が重機を運転してちょうど水車小屋の跡地付近を掘削していた時、用水の底から黒ずんだ泥に塗れて逆さに埋まっているいくつかの石臼のようなものが見えてきた、というのだ。作業員はあらかじめその辺りが昔の水車小屋のあった場所だということはすでに知らされていたので、私たちにそのことを知らせに来てくれたということだった。その昔、我が家の水車小屋で活躍していた石臼が時を経て、車小屋の崩壊とともに用水のなかに落ちてしまい、そのまま泥に埋まった状態で、私たちはその姿を目にしたのである。

それから幾日か過ぎたある朝のこと、私たちは庭の奥の方の用水の淵に揚げられてあったそれらの石臼がすべて無くなっているのに気付いたのである。

はじめ私たち家族はびっくりして誰がそんな重いものをどういう風に持ち去ったのだろうと不思議に思っていた。

そして私はそれから先のことも考えて不安に感じてきたために、念のため所轄の署に話をしてその旨連絡した。翌日、二人の担当者が来て現場を見た後で、夜間、短時間の内に、しかも人間の力だけでそれらを運び出すのはかなり難しい作業だとして、それは用水を掘り起こしている重機を使うしかないというというのが彼らの推察であった。