二 日本文化と世界

2 武士と刀

武士というと戦を連想させるが、実は文化をとても大切にしていた。

武術によって精神と身体を鍛錬し、物事に動じない人間力を養う一方で『論語』を読み、常日頃「能楽」「茶道」「和歌」「書道」を嗜んでいた。武家諸法度にも、まず書かれているのは、「文武弓馬ノ道、専ラ相嗜ムベキ事」。要するに文武の奨励だ。鎌倉時代から七百年間、武士の文化と創造は独自の発展を遂げたのである。

武士の象徴である刀は神事によって作られる。その刀を武士が差して、初めて心の魂が宿るのだ。武士の刀というのは、人をあやめるものではない。武士の心の魂が宿っているから、基本的には抜いてはならないのである。

武士が刀を抜くということは、よくせきのこと。刀を抜いて人をあやめたら、国では処罰しないが、子どもが仇を討つのは公認されていた。刀を抜くということは、それだけの責任を自分で持つということなのだ。

だが、いざ戦が起きれば、心の魂である刀を抜いて命をかけて戦った。

仏教では、戦をした者は「勝者」も「敗者」も、よほど宗教で救済されないかぎり修羅道に堕ちるという考えが根底をなしている。修羅道に堕ちるということは、地獄で絶えず凄惨な殺戮をしているということ。これほど辛く、恐ろしいことはない。かの英雄、義経さえも、世阿弥の名曲「屋島」にあるように終末は修羅道に堕ちて行く。

武士は信心深い。不信心だったといわれる信長でさえ、桶狭間へは神仏に祈って出陣したというから、やはり宗教で救われたいという気持ちが心の片隅にあったのだろう。

武士の文化と宮廷の文化が融合して、日本の国家の営みはなされていた。武士の刀は自分の身を守るものであり、精神を戒めるものであると同時に、相手に対する抑止の役目を果たす。

武士の刀とは比べようもないが、殺戮兵器、核爆弾を、こともあろうに人間が作り出し、国力の維持のために保持することは、修羅道どころか、人間をまっしぐらに自滅の道へと導いているとしか思えない。

人びとの精神的支柱はいつ、どうして失われたのだろうか。