はじめに

『学校も所詮〔白い巨塔〕』──なかなかセンセーショナルな言葉ではないだろうか。現役の中学校教師である私が、学校の実態、教育現場の闇をあぶり出すことになれば居場所を失うかもしれない。無論、現在の教育体制そのものを真っ向から否定するつもりはない。

【人気記事】JALの機内で“ありがとう”という日本人はまずいない

ただ、今の教育体制に、そして、教師や教育行政に携わる者に欠けているものは何か、それを今後どのように立て直していったら良いのかを、それぞれの立ち位置で思索、探求できるような、そんな教育の書になるようにと願っている。学校が、先生が、教育委員会が、みんな無能ばかりではないし、むしろ、尊敬すべき力のある先生がいて、立派な教育実践がなされていて、貴重な場が設けられていることは間違いない。

しかし、ことに触れ、特に問題が発生した時には、問題が起きた原因を生徒や保護者、あるいは、地域社会等のせいにし、学校や先生の問題は隠蔽されることが往々にしてある。また、そのような風潮の学校の中では、強固に官僚主義化が進んでおり、「問題」を平教員に押しつけ、「トカゲのしっぽ切り」のように吊し上げ、管理職の管理責任逃れが散見される。まさに学校が〔白い巨塔〕と化すのである。

一方では、学校批判ばかりもしていられない。では自分はどうかと問い直してみると、そうそう100点満点とはいかない。私自身の教育実践を振り返り、そこから導き出される問題とも向き合わなければならないのだが、これがなかなか難しい。どうしても自分を正当化しようとする気持ちが意識的に、あるいは、無意識的に働いてしまうからだろう。

この機に、さまざまな経験を語り出してみたいと思うのであるが、言うなれば、「教師も所詮〈にんげんだもの〉」というフレーズがピッタリとくるような、そんな弱さ、醜さもさらけ出していきたい。そうして本書では学校や教師、および、教育委員会の負の部分に焦点を合わせ、教育現場の闇に光を当て、臨床教育学的視座から教育界に連綿と続く「問題」の所在を解明し、それぞれにリフレクション(省察)を促し、学校という教育現場を、教師の教育実践を、さらに教育委員会の教育行政を「正常化」へと導く指針を示すことを目的としたい。