『奇跡の軌跡』
さぎり…「ギリ 一じ二五につく」と、再びさぎりからの通信。いつの間にか「時」がひらがなになっている。余程(よほど)慌てているんだろう。大体が、キーを打つのが速いとはいえないさぎりである。
ロケットの絵文字に続き、飛行機の絵文字がふたつ並んでいた。この列車が新橋まで空を飛んでくれたらいいのにという必死の思いが絵文字になっていたに違いない。
伊能(いのう)と二人でコンサートに出掛けるのは、さぎりにとって初めてのことだった。ここは勝負処(どころ)と、さぎりは感じていた。武道の空手なら、「後手必勝」だそうだが、恋愛は「先手必勝」なのである。
普段から香水には造詣(ぞうけい)が深く、日々纏(まと)う香水の選択には余念(よねん)のないさぎりが、その日の“勝負香水”に選んだのは、ほかでもない、ジバンシイ・オードモワゼル・ローズ・アラフォリであった。その仰々(ぎょうぎょう)しい名称の香水の説明書に書かれた文句をさぎりは鮮明に覚えていた(つもりであった)。