くしゃみとルービックキューブ
買い出しの途中で、見知らぬ男性に突然呼び止められた家政婦の柚木。
くたびれた背広に水色のチェックのネクタイ。四十後半といったところか。この男の正体は一体……?
危険な匂いがプンプンしている……解けない警戒心。
話が終わり、彼女は喫茶店を出た。田口は少し後から出る、と言った。確かに二人揃って店を出ることもない。誰かがどこかで見ているかもしれない。商店街を歩きながら、柚木は心ここにあらずだった。
あんな話を聞いてしまっては、明日休まざるを得ないではないか。いきなり辞めるのは、さすがにちょっと不自然だ。風邪でもひいたことにして、急遽休みをもらおう。
しかし、華はどうしようか……。
なんとか屋敷から連れださなくてはならない。なんと言って連れだせばいいのだろう?
このことは誰にも言ってはいけませんよ、と念を押したときの田口の真剣な目を、柚木は思い浮かべた。巻き添えで関係のない人間が死ぬのを黙って見ていられなかったから、私はあなたに教えたのです、と田口は言った。彼の言うことが真実なら、部屋にこもっている華は間違いなく巻き添えをくらうだろう。
柚木は、華の顔を思い浮かべた。愛想のいい旦那様と娘の華は、あまり似ていない。いや、あまりどころか、全然似ていない。似ているところが一つもない。華の笑った顔を、柚木は一度も見たことがなかった。華の笑顔など想像もできない。
何が楽しくて生きているのだろう? 若さを浪費している。部屋で一日中、何をしているのか……。不気味だ。柚木は再び、華の暗い顔を思い浮かべ、思わず顔をしかめた。