くしゃみとルービックキューブ

買い出しの途中で、見知らぬ男性に突然呼び止められた家政婦の柚木。
くたびれた背広に水色のチェックのネクタイ。四十後半といったところか。この男の正体は一体……?

危険な匂いがプンプンしている……解けない警戒心。

「少しお話がしたいのですが」男は声をひそめると、素早く周囲を見回した。「ここではちょっと……。少しだけお時間よろしいですか」

柚木は毅然と背筋を伸ばすと、大きく息を吸い込んだ。
「ここでできない話ってなんでしょう。私は単なる家政婦で、たとえば旦那様のプライベートに関することについては一切お話しかねるのですが」

男は素早く首を振った。
「そういうことではないのです。あなたから何かを訊きだしたいわけではありません。その逆です。あなたにお話ししておきたいことがあるのです。私は、ある重要な情報を持っています。そのことをあなたのお耳に入れておきたいのです」

「重要な情報」
柚木は途方に暮れた。眉をしかめる。男の言葉からは危険な匂いがプンプンしている。

「あなたはこのことを絶対に耳に入れておくべきです。これは生死に関わる問題ですから」
「生死に関わる?」柚木の声が裏返った。

「あ、そうだ。忘れていた。私はこういう者です」
男は背広の内ポケットから名刺を取りだした。柚木は名刺を受け取ると、印刷された文字を眺めた。

ゼネラルソーシャルリサーチ 田口 堅

会社の住所は大崎になっている。ゼネラルソーシャルリサーチ? どうして世の中にはこんなに横文字が氾濫しているのだろう。いつから日本はこんなことになってしまったのか。煙に巻かれているようで気分が悪くなる。これでは何をしている会社だかさっぱり分からないではないか。

「リサーチってことは、何か調査をされてるんですか」
柚木の言葉に、田口は視線をさっと斜め上に向けると軽く眉を寄せた。

「調査。そうです。依頼に応じ、我々はなんでも調べます。ジャンルに関係なく、とにかく調べあげるのが仕事なのです」