「お女郎屋に売られるところだったのよ。だから、捕まってしまうかも知れないの」
「追って来るのって、きっとやくざよ。私、追われている女の人見たことがあるもの」
晴は怯えたかのように、しかし何かを期待するように言った。
「ほんと?」
美津は心配そうにトメを見た。
「あ、し、ぬ、け、って言うのよ。大勢の男たちに寄ってたかっていじめられて、昼間の往来を縛られて歩いていたのよ」
「助けようとする人は、誰もいなかったの?」
美津は聞いた。
「みんな見て見ぬふりよ。……それからが凄いの。こう逆さに天井から吊るされて、竹の棒でバシバシ叩かれて……」
晴は俯いているトメに気付いた。
「ごめんなさい」
自分の分別のないはしゃぎぶりを、小声で謝った。トメは突然顔を上げて、しっかりした口調で語り始めた。
「私の家は貧乏だ。どうしようもなく貧乏だ。あなたたちのような、裕福な人たちには分からない。私の家はこの部屋よりもずっと狭いんだ。その中に、お爺ちゃん、お婆ちゃん、父ちゃん、母ちゃん、兄弟が十人も押し込められていて……小さな子は泣きわめく、喧嘩をする。父ちゃんはすぐに手を上げる。みんな食べ物がないから、いつもイライラしている。私の家は水呑み百姓だ、三日も四日も食べられないなんてざら。だから……だから私は売られなくてはいけない。でも、私、怖い。私はいや、いや!」
「美津さんごめん、トメさんを匿まってほしいのよ。捕まったら何をされるか分からないから。殺されてしまうかも知れないのよ」
「よし分かった! 私たちにまかせなさい」
晴が突然声をあげた。
「晴さん……」
「いい、美津さん、私たちもこの小さな町に廃娼運動の狼煙を上げるの! 私たちはトメさんを守り抜くのよ」
「調子に乗って大丈夫?」
喜久が眉をひそめた。
「多佳ちゃん、友達っていいな。こんなに楽しくて、こんなに力強く……私も女学校に行きたかった」
「トメちゃんってね、私なんかよりずっと勉強ができたの。学校でいちばんだった。先生にも上の学校に進むように言われてたんだよね」
「私、勉強がしたかったなあ。とっても……」
トメは美津の机の上にあった教科書を見つけた。
「ねー、これって女学校の教科書でしょ。見てもいいかな」
トメは、乾いた喉に水を流し込むように、数学の教科書を読み始めた。
「私、あんなに目を輝かせて教科書を読んでる人を見るの初めて」
晴はまじまじとトメを見つめた。