こんな日が来ることを前々から想定して、それなりの準備、手配をしていたとはいえ、実際に「こんな日」が来た時の彼女の手並みは見事でした。姉がいなかったらどうなっていただろう、と思います。
両親の住む家からほど遠からぬ場所に実務能力に長けた姉がいるという幸運には、誰もが恵まれるわけではない。そんな幸運に恵まれない圧倒的多数のケースでは、ふだんからどんな準備をしておいて、いざその時にどう行動すればいいのか。
世話する側だけでなく、世話される側もきちんと考えておかないと。いずれ自分も世話される側になる……。いや、世話されずに済むような終末を考える方がいいのかも。
そんなこんなであたふたした出来事も一段落した9月の初め、姉から電話がありました。要らないクラシック音楽のCDがあれば送ってほしいとのこと。なんで、そんな話になったかというと……。
6月に入所した父が、入所したての頃は誰でもそうなのだけど、聞き分けが悪くて施設の職員さんをてこずらせたらしい。ところが最近、何かのきっかけでクラシック音楽(もちろん生演奏ではなくてCD)を耳にしたら、「よかですなあ」と言っておとなしく聞き入っていたとのこと。
職員さんが「しめた!」と思ってずっとクラシック音楽を聞かせていると、一日中ずっとおとなしく聞き入っているらしい。そこで、姉はCDプレイヤーとクラシック音楽のCDを何枚か持って行くことにしたのだけど、わたしの手元にふだん聞かないクラシック音楽のCDがあれば、それも一緒に持って行きたいとのこと。
姉自身は、あまりクラシック音楽に興味がないのだけど、わたしが子供の頃からクラシック音楽が好きだったのを覚えていたらしい。実は2~3年前、ふだん聞かないCDを大量に(と言っても100枚くらい)処分したのだけど、残っている30枚くらいの中から何枚か選んで送りました。
姉にとって、父とクラシック音楽は意外な組み合わせだったらしい。わたしにとっても意外です。
わたしの記憶の範囲内では、父がクラシック音楽を聞いていたことはない。唯一覚えているのは、わたしが中学生の頃、小遣いで買ったLPレコードで『ツィゴイネルワイゼン』を聞いていたら、それを耳にした父が、「自分も若い頃、友人たちと一緒に、当時のゼンマイ式の蓄音機で『ツィゴイネルワイゼン』を聞いたことがある」と語ったことくらいです。
まあ、何はともあれ、クラシック音楽を聞いておとなしくしていてくれるのなら、ありがたいことです。父は、良く言えば正義感が強いのですが、それだけ頑固で、我の強いところがある。もちろん、周りの人たちに対して社交的な配慮をするくらいの理性は持ち合わせていたのですが、認知症になるとそういう理性が衰えて、地の性格が出やすくなる。
老人施設では、あまり好かれないタイプでしょう。これから残された長くはないはずの時間、クラシック音楽を聞いて静かに、職員さんたちに見守られて暮らしていけるなら、それに越したことはない。