「そうだ。あそこだけ、まだ行った事がないんだ。是非行きたくてね。……そのあと沖縄へ行って、平和の礎と、ひめゆりの塔へ行ってくるよ。その足で東京へ行って、十五日の終戦記念日に靖国神社を取材して帰ってくるつもりだ。しばらく会えないよ」
「気をつけて行ってきて下さい」
「ありがとう。戦後五十三年なんて、遠いように思ってる人が増えたけど、半世紀なんて、まだこの間の事だよ」
「えぇ」
「原爆を受けた日本人は、戦争を忘れちゃいけない。僕は右でも左でもないよ。戦争が愚かなんだ。それを伝えるのがジャーナリストだからね。僕は八月が一番忙しいんだ」
「……私の家は、いまだに戦後を引きずってるわ……」
「どういう事だい?」
「父は昭和ひと桁の生まれで、私は遅く生まれた子なの。父の家は地主だったから、農地解放で土地を失う事になって、少しでも田畑を守るために、父は大学進学を断念させられて、泣く泣く農業を継いだんです。でも時代が変わって、職業を転々として……だから今でも、マッカーサーの野郎がって、ののしってます。そんな父に耐えられなくて、母は離婚して出て行って……私も家を出ちゃった」と、つい私は家庭事情を話してしまった。
「君の色々あったって言ったのには、戦争の傷跡も原因だったのか」
「ごめんなさい。つまらない話をしちゃって」
「いや、参考になる話だよ。よく話してくれた。ありがとう」
「神矢さんが帰って来たら、私、また一つ歳をとるわ。嫌だわ。三十になるなんて。あぁ、二十代最後の夏かぁ……」
店内はシューベルトの『セレナーデ』が、清らかに流れていた。
「えっ!? 誕生日がくるの?」
「そう」
「いつだい?」
「ドラえもんと同じ!」と言って私はクスッと笑った。
「ドラえもんの誕生日なんて、知らないよ。いつだい?」
「九月三日」
「そうかい。それじゃ、お祝いしなきゃな!」
「いらないわよ」
「だめだよ。大切な節目じゃないか。お祝いさせてくれ」
「そんな……」
「ほんとだよ。絶対お祝いするからね。約束だよ
「はいはい。ありがとうございます。うふっ……」と、私は軽い気持ちで約束をした。それが、人生をひっくり返すような事態の幕開けになろうとは、露ほども気づかずに。