三年目の年、一九九一年は、モーツァルトの没後二〇〇年だった。音楽好きで、クラシックも一通り知っている澄世は、ひらめくものがあり、イベントの企画を書き提出した。アテンダントが企画するイベントは初めての事だと言われたが、『S社製スピーカーで聴く、モーツァルト没後二〇〇年』の企画は採用された。
東京本社からスピーカーのエンジニア達が来阪し、イベントが行われた。澄世はMCを担当し、マイクの前に立ち、イベントの司会進行を行った。
そのイベントの二日目、バックルームに置いてあったイベントで使うCDが一枚なくなった。エンジニアの一人が予備のCDを持っていたので、事なきを得たが……。イベントが終わってみると、なくなったはずのCDが、元に戻っていた。
澄世は体にきつかった事と、石の上にも三年頑張ったので、結婚退職ではないが、次の年の更新をしなかった。「イベントで、CDもなくなったりしたからね……」と課長は言い、引き留めなかった。
音響が常にあるショールームにいたせいか、澄世の左耳は難聴が悪化し、時にめまいがした。高校までと先延ばしにしていた手術は、結局まだしていなかったが、もう限界だった。
平成四年、二十五歳の夏、T病院に入院し、手術を受ける事になった。その時、飲んでいる薬のチェックがあり、富田外科でもらっている薬をみせた途端、医者が言った。
「すぐに飲むのを止めなさい! いったい、どのくらいの期間飲んでいましたか?」
「えーっと、四年くらいです」
「これはステロイドですよ! 副作用が恐い薬なんです。とにかく、もう飲まないように!」
そうは言われたが、足裏がまたアトピーになったら、どうしよう……と澄世はそっちの方を恐れた。