【前回の記事を読む】「母を嫌っても良いですか」と相談に来た70代女性。100歳近い母親を施設に預けるも「元気にならないで良いのに」と顔を歪め…
はじめに
多くの人が親子関係における様々な社会通念や良識に捉われ、苦しんでいます。親を敬うべき、感謝すべき、大切にすべき、嫌ってはいけない、といった思いに縛られています。これは親の側にも当てはまり、「わが子を愛せないのは悪い親」という観念に苦しむ人もいます。
人を嫌うことは一般的に良くないことと受け止められています。もともと人は社会的な動物で、本質的に人と和して生活するという特徴を持ちます。人を嫌うということは、その本質に反する論理があるからです。他者を嫌うこと自体が良くないとされている以上、ましてや親を嫌うなどは到底許されないことと見なされるのは当然です。
したがって、親に対する嫌悪感は認めがたいものとして抑圧・否認されることになります。嫌いなのに嫌いではない、ということになると言えばよいでしょうか。ネガティブな感情はよくこの抑圧・否認に晒(さら)されます。なかったことにしよう、感じないことにしようということです。
一見、表面的にはうまくまとめられているように見えますが、これははっきり言って偽善です。そのために様々な心身の症状を引き起こします。自律神経系の身体症状、うつ、乖離、その他様々な精神症状、ひいては希死念慮(死にたい気持ち)なども惹起(じゃっき)しますが、精神科では珍しいものではありません。
自分を守るためには、時に嫌悪という感情も重要です。嫌悪を無視してはいけません。例えば、腐ったものを見て気持ち悪いな、嫌だな、食べたくないなと思うのが一般的だと思いますが、この嫌悪感は、それを食べておなかを壊さないように自分を守る大事な機能として働いています。
人を嫌うことは、自分がなんだかとても悪い人のような気がして認めたくないかもしれませんが、嫌悪感を抱いている自分を認めましょう。誰かを嫌いであっても、あなたは別に悪い人ではありません。むしろ、嫌悪感があなたを守っています。嫌われる勇気も大事ですが、人を嫌う勇気も大事です。
人は人と和して生活する動物ですが、個人レベルではなく、人集団を脅かす存在に対しては、排除の方にベクトルは向き、自分が対象より強ければファイト(戦うか)、自分の方が弱ければフライト(逃げるか)です。
嫌うことは自分の存在に対する自己防衛のためだけではなく、人という種を守るためのファイト・オア・フライトの行動のモチベーションでもあります。人個人、人集団の防衛にはこの嫌悪は重要なのです。