一
その後、風の便りに、母が再婚をし、男の子を産んだと聞いた。
私はただただ、母の幸せを祈った。父との生活は相変わらずだった。家事は私がした。いつも母のそばで見ていたので、料理もできた。父は私を思いやる事もなく、それを当たり前にしていた。会話はなく、何かと言えば「大学さえ行っていれば……マッカーサーの野郎が……」と、同じ話ばかりした。私の家だけが戦後を引きずったままで、私は息苦しかった。
私の友達は母からもらったプーさんだけだった。女に学問などいらないと言う父を、何とか説得して、大学へ行った。
「俺は大学に行けなかったのに、お前は大学に行かせてやっている」と、父は事あるごとに、恩着せがましく言った。
卒業して、就職するのに、文章力を活かして記者になりたいと思い、S新聞社を受け、受かった。うれしかった。だが、入社式のあと、もらった辞令は秘書室だった。人事部長に抗議に行くと、君は美人だから秘書がいいと追い返された。落胆したが、自立して生きていくために、私は秘書職を一生懸命にやった。私はクールに仕事をした。
社内の事務の女性達は、秘書に憧れるらしく、色々とやっかみを受けた。トイレで化粧直しをしていた時だった。隣りにいた二人の女の一人が言った。
「鏡を見て気分いいでしょー。秘書は顔でなれるんだから。アハハ」と二人で笑い合った。
私は、いたたまれなくて急いでコンパクトをたたみ、トイレを出た。悪い噂も流された。ある時、届け物を持って、総務局長のところへ行くと、おかしな事を言われた。
「君。悩みがあるなら、ちゃんと僕に報告してくれよ。仕事が嫌だと、秘書室長の胸で泣いたそうじゃないか」
「えっ! そんな覚えは全くありません! 誰が言ったんですか!?」
「みんな知ってるよ。とにかく気を引きしめて仕事をしてくれたまえ」
悔しかった。屋上へ行って泣いた。そんな時、いつも「どんな時も、微笑んでいるのよ。そうしていれば、きっと幸せになれるから、ね。お願いね」と言った母の言葉を思い出した。私はどんな事があっても、いつも口角をあげて微笑むよう努力した。