12.手を変え品を変え

撮影のことも、帰り道のことも覚えていない。

気づいたら自宅の玄関に立っていて、荷物を床に落としていた。落としたというより、手が開いた。バッグからはリップクリームやら手鏡が零れ落ちるが、そんなことは気にも留めなかった。コートが廊下に広がったのも、靴を脱ぎっぱなしなのもどうでもいい。

本棚に向かっていた。

自分でも説明できなかった。

あの女の最後の言葉が引き糸みたいに働いていた。本を読むのが好きだったでしょう、その一言が。引きずられるように手が動いた。足が動いた。意思と関係なく身体が動くという経験を私は度々経験している。

靴紐が結べなかったあの朝や、本山優子の告白を怒りで塗りつぶしたあの夜と同じ種類の、脊髄が勝手に判断を下す感じだ。

本棚から1冊引き抜いた。

先々週に買って放置していたやつ。立場を投げ捨てて自分の幸せだけを追求する女の話で感動的だとか共感するとかそういうレビューを読んでいた。

万人に受けているということは私の琴線にも触れるはずだ。私はマイノリティには属していないはず。

それをソファに座って開いた。最初の1行を読んだ。意味が入ってきた。

入ってきた。文字が文字として機能した。目が行を追って意味が頭の奥まで届いた。届いた感触を知った。こういう感触だったと久しぶりに思い出した。言葉が身体の中に入ってくるとはこういうことだったと。

読み続けた。時間が消えた。明日の撮影が消えた。岩塚玲子の顔が消えた。部屋の温度が消えた。ページをめくった。まためくった。主人公が努力した成功した泣いた怒った悩んだ選択した失った手放した。

読んだ。読み切った。

本を閉じた。

時計の短針は3を指していて、カーテンの隙間からは月明かりが漏れ出ている。

心が揺さぶられる何かが、なかった。

それどころか主人公の取った選択に怒りを覚えていた。全部投げ捨てて自分の幸せを選んだあの女に。

 

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