11.あなたについて

岩塚玲子のブラシが仕上げの工程に入っていた。動きが細かくなる。確認するような、点検するような、最後の修正を加えるような手つき。私はただ鏡の中の自分の顔を眺めていた。

「今の立ち位置にいることは、苦しくないですか?」

何の前触れもなかった。話の流れもなかった。

静かに続いていた沈黙の中から、その言葉だけがぽとりと落ちた。ただ1つの雨粒が落ちたみたいに。音もなく。

その言葉には棘がなかった。

棘があれば処理できる。棘には棘で返せる。目には目を歯には歯を、ハンムラビ法典の紀元前18世紀から現在まで変わっていないはずだ。あるいは棘を無視して笑って流せる。長年磨いてきた技術の中でも棘の処理は最もコストが低い部類だ。

でも彼女の言葉には棘がなかった。

むしろ反対のものがあった。こちらの身を案じているような、そういう温度が、言葉の奥にあった。

命を仕留めてやるという血気盛んな言葉ではなく、あんたをこの世から解き放ってやるという介錯のような言葉。死は救済なのだと語りかけるような言葉。

気持ちが悪い。気色悪い。

さっきは高校時代の私に攻撃の矛先を向けたと思えば、途端に刃を収めた。そして、今は私の身を案じるかのような柔らかな声色をかける。その変わり様にどこか寒気すら覚えてしまう。

「別に」と私は言った。

「苦しいとか、そういうことはないです」

怒りを本山千晴という芸能人のベールで包み込んだ。

それは熟練の技術と言って差し支えなかった。そうしなきゃどうしようもない場面を幾重にも乗り越えてきた。その声色は完璧なトーンだった。完璧な声色だった。

だが、完璧すぎて、回答として機能していないことくらい、この部屋にいる2人ともわかっていた。

岩塚玲子は何も言わなかった。ブラシが動き続けた。左頬から右頬へ、右頬から顎へ。リズムがあった。乱れなかった。乱れないまま、その目がほんの一瞬だけ鏡越しに私の目を捉えた。値踏みするような目だった。

 

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