【前回の記事を読む】「消える芸能人」と「消えない芸能人」の違い。大御所はスキャンダルが出ても、当たり前にテレビに映る。理由はたった1つで……
10.友達がいました
後輩が何人かいる。
みんな一生懸命だ。真剣な目をして、少しでも上に行こうとしている。その目を見ると、昔の自分を見ているようだと思うことがある。思うことがあって、そしてすぐに打ち消す。
昔の自分なんかじゃない。あいつらは私より恵まれた場所から始まっている。事務所のサポートがある。SNSの使い方を教えてもらえる先輩がいる。業界の常識を伝えてくれる人間がいる。私にはそういうものが何もなかった。手探りで全部やった。だから私に共感する義理はない。
後輩たちは私を慕っている。少なくともそう見える。
でも私の目には、金魚の糞にしか映らない。
尻尾にくっついて泳いでいる。流れに乗っている。私が右を向けば右を向く。私が誰かと仲良くすれば後を追ってくる。思考していない。流れているだけだ。水が低いところへ流れるように、あいつらは強い方へ流れている。
それを友情とか慕情とか呼ぶのは、川の流れを愛と呼ぶようなものだ。自然現象に名前をつけて感動するなんて詩人だけで十分だ。
でも金魚の糞は使える。使えるから引き連れている。
群れは力だ。これはS中学の頃から変わらない。群れの中心にいることが、安全を保証する。群れが大きければ大きいほど、中心の安全係数が上がる。芸能界スケールでも、この原理は変わらない。
変わるのはスケールだけだ。中学の教室でやっていたことが、そのまま全国放送の規模になっただけだ。人間の群れのメカニズムというのは、本当に普遍的だ。進化しない。スケールだけが変わる。
気がつけば、業界全体で見てもかなり上の方に来ていた。
CMのオファーが絶えない。番組の主演が続く。雑誌の表紙を季刊ペースで飾る。
知性派、努力家、清純、品格。世間が私に貼ったタグはそういうものだ。
ワイドショーのコメンテーターが「本当に努力で成功した方ですよね」と言った。スタジオが温かい空気になった。私は少し目を潤ませた。潤ませ方は練習している。条件反射でできるようになった。
泣く芸は、笑う芸より難しいと思っていたが、慣れれば変わらない。人間の顔というのは練習次第でどこまでも自由になる。
亀島と別れた後に、ホステスはやめた。
必要がなくなったからだ。
生活費としての機能も、情報収集の場としての機能も、もう私には別の調達ルートがある。夜の仕事に費やしていた時間を、撮影の準備に回した方がタイムパフォーマンスもコストパフォーマンスが高い。合理的な判断だ。感傷はない。あの店で磨いた技術は今も使っている。使えるものは出所を選ばない。
高畑はまだ業界にいる。たまに顔を見かける。顔を見るたびに、目を逸らす。逸らされることに、私はもう慣れた。