第1章 清水三雄の複々線化人生
「勇気と挑戦」を座右の銘として、仕事・趣味・勉強・ボランティア等の複数のジャンルに同時挑戦をして一番を取ることを「清水三雄の複々線化人生」と名付けて歩んできた清水三雄は幾多の危機を乗り越え85才になった今も、新たな挑戦を続け、「高齢者に元気に生き続ける楽しみと勇気を、若者に目標に向かって挑戦することの素晴らしさを与え続ける活動」を行っている。
令和8年3月1日現在SNSの閲覧累計3千万、フォロワーは5万を突破してスポンサー広告まで付いた。
日本で一番高齢のヘリコプターの操縦免許を77才で取り、若かりし頃の果たせなかった夢「オートバイで日本一周」を「ヘリで日本一周」に変え実現を目指している。
35年間続けたフランスの国民的スポーツ、ペタンクでは日本選手権やジャパンオープンに複数回優勝し目標がなくなり5年前に卒業。
同時にゴルフでのエージシュート達成に目標を設定して35年ぶりにゴルフを再開して名門、琵琶湖カントリー倶楽部で4年連続で達成。
10年先にはeVTOL(空飛ぶクルマ)の時代がくると確信してeVTOLの離発着場(バーティポート)を民間として日本で初めて建設することに決意してこれからも楽しい挑戦を死ぬまで続ける。この実現には読者の皆様の応援と参加が必要です。
私の挑戦記録を参考にしてあなたの人生を見つめて下さい。
ゼロからのスタート:貧しい家計と兄弟の支えの深化
私は昭和16年(1941年)5月10日、男4人兄弟の三男として生まれました。幼少期の家計は極めて厳しく、超貧乏と呼べるものでした。父はバクチ好きで病気がちで、家計を支えるのは母が営む小さな米屋でした。しかし、その米屋も食料統制の時代には十分に稼ぐことができず、我が家は常に生活の苦しさに直面していました。
貧困が育んだ「飢餓精神」と「工夫の力」
村立大藪小学校へ入学した頃は、通学は牛車の荷台に乗り、裸足の草履履きという時代でした。冬の寒さは骨身にしみ、雪が積もった日でも素足で歩くしかありませんでした。学校で唯一の楽しみは、月に一度、給食で出される脱脂粉乳を飲むことでした。当時の私にとって、それはご馳走でした。
家には、兄弟全員が満足に食べられるだけの食料はほとんどなく、特に冬の朝は、かまどで炊いたご飯の上に、昨晩の残りのお味噌汁をかけただけの「味噌汁かけ飯」が常でした。それが唯一の温かい食べ物でした。
また、兄弟が多いため、衣類も満足に用意できず、常に「お下がり」を着ていました。特に、長兄が着古した学生服は、次兄を経て私に回ってくる頃には、生地が薄くなり、修繕を重ねた跡が生々しく残っていました。
この幼少期の貧しい生活が、私に「絶対にこの環境から抜け出す」という強烈なハングリー精神と、自力で道を切り拓く強い意志を与えてくれました。私は、「環境のせいにしても何も変わらない。変えられるのは自分自身の工夫と努力だけだ」という、極めて現実的な哲学を幼い頃から体得していました。
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