塀は着々とその姿をあらわしていった。そのかわり毎日打撲や擦り傷を負う者が出た。工事は常に危険と隣り合わせである。救急用具は、観光案内所にあった分やメンバーの私物程度しかなく、数は少ない。かすり傷くらいなら「もっと大きな怪我をした時にとっておこう」と、なるべく使われなかった。
傷口は川で洗い、打撲は冷やす。捻挫は布を巻いて固定する。また、観光案内所の薬草事典やノートパソコンのファイル「笹見平の野草」をチェックし、ヨモギなどの薬草を採取して用いることもあった。木崎は泉に薬草の栽培を申し出て、数人の中学生女子と共に薬草園を始めた。
小さな怪我なら我慢もできるが、大怪我となるとお手上げである。ある日、ついに怖れていた怪我人が出た。川田が腕を折ったのである。
約二メートルの足場から踏み外し、左腕を下敷きに地面に落下した。彼は上腕を押さえて泣き叫んだ。騒ぎを聞きつけた岩崎・沼田が「大丈夫か!」と駆け寄る。岩崎は、風が吹くだけで悶絶する川田を見て
「これは、折れたかもしれんな」
痛がる川田を真っ直ぐ座らせ、細板で上腕を固定し、水で冷やした布を巻いた。川田は痛みで気が遠くなっていた。目蓋をうっすらと開けて、弱々しく息をしている。そして「治りますか?」と呟いた。岩崎は
「大丈夫だと思う。俺が昔骨折した時、医者はギプスで固定しただけだった。要は固定だ。あんまり動かすな。骨が変な風につながったらまずいぞ」
川田は目を閉じて同意した。首を縦に振る動きすら、腕に響いてたまらない。
その晩、川田は発熱し周りから心配されたが、五日も経つと、痛みが和らぎ、時々笑顔を見せるまでに回復した。こうして笹見平に一つのノウハウとその実例が誕生した。「折れたら固定」はメンバーの共通認識として浸透した。
しかし岩崎・沼田ら中心メンバーは、もっと悪いパターンが起きた時にどうするのか、その答えを持っていなかった。今度の怪我はシンプルな骨折だったから何とかなったものの、これが大きな裂傷だったら――。
さて、この怪我の一件をきっかけに、川田の態度に変化があらわれた。大学生に対していつもつっけんどんだったのが、随分穏やかになったのである。
川田は大学生の口からタイムスリップの仮説や塀工事の話が出た時、真っ向から食ってかかった。それは彼自身の考え方に基づくごく真面目で一本気な行動だったのだが、そのため彼は自分が大学生に疎まれたに違いないと思いこんだ。それがますます彼を意固地にしていた。
けれども、川田が怪我をすると、大学生はつきっきりで看病してくれた。論戦した砂川、早坂を含め、みなが交代で、寝ずの番をしてくれた。冷布を替えたり、汗を拭いたり。
――意見が違うと敵になると思っていたけど、大人ってそうじゃないんだ……。
川田にとって折れたのは腕だけでなく、頑なな心も折れたのである。