第1章 前近代の男女交際と家族制度
1-1 日本婚姻史―柳田國男と高群逸枝
日本の歴史民俗学では、男女交際の研究は重要課題であった。
昭和初期に民俗学を始めた柳田國男(やなぎたくにお)は「聟入(むこいり)考」(『婚姻の話』所収)で、政治経済中心の文献史学が問うてこなかった婚姻・恋愛習俗の歴史と意味を、娘宿・若者宿での結婚相手の選択や性教育という民俗から述べている。
柳田は、中世以降現代までの「嫁入」は武家の婚姻法にならったものであり、古代では男が妻問いし、女性の家に「聟入」する婚姻が主流であったと、足入れ婚(嫁入り前に夫が嫁の家に通う)民俗を根拠に述べている。
一方、同じく昭和初期に女性史を始めた高群逸枝(たかむれいつえ)は、『日本婚姻史』『恋愛論』を書いている。
文献史料にもとづき、古代母系制における婿取婚の女性系家族社会から、室町以降の家父長的男性中心社会への変遷、近代法制度による再編家父長制を述べている。
高群は日本の婚姻史を、表1のように指摘する。
・古代母系大家族における共食共婚、神前群婚(男女性交ではなく、神の名による群の生殖)。
・古代の女性祭祀は、皇室の祖先神である伊勢神宮を未婚の内親王が祀る斎王(さいおう)の制度に残っている。(伊勢神宮斎王は天照大神に仕える未婚の女性である。伊勢祭主が斎王の地位につくことが一般的であった。現在は、内親王であった黒田清子が伊勢祭主をつとめている)
・古代女性発情の告知…尻ふり踊り(雄の種を採る[踊りの語源は、雄採り])
・大和時代、婚主が族長になって以後、公開から閉鎖的なクミド(室内)での性交となった。この時点で、群婚が消滅し、夫婦という特殊な地位が生まれ、『万葉集』の相聞歌(そうもんか)のように「恋」が特殊な意味を持つようになった。
・平安中期、藤原道長は、左大臣の娘・倫子(りんし)を嫡妻とし、倫子の土御門(つちみかど)家に同居し、かつ右大臣の娘・明子を妾妻として、明子の高松第(てい)にも通っていた。
・娼婦は嫡妻とは異なる正式の夫婦である。後鳥羽上皇の遺産を継承した物憑き巫女亀菊や、源義経と結ばれた白拍子の静御前が有名である。同様に明治の元勲・木戸孝允の幾松(京都)、山縣有朋の貞子(新橋)など、社交界での夫婦関係を紹介している。
・室町時代、各地に武士の自治組織・惣が登場すると、男性の頭(とう)が交互に氏神の「回り神主」となる男性司祭が一般化した。
・室町頃、商品経済が進展すると、人間性の二つの基盤である労働と性が、商品化された。これまで宗教的な意味も付与されてきた遊女が、一五二八年、傾城局から鑑札を与えられ、官許となり、一五貫文/年、課税されるようになった。ここに、遊女の宗教性は消え、遊郭文化へと特化していく。
本章では、上記、高群逸枝の古代の群婚、「踊り」の起源が雄採り(精子とり)、道長はマスオさん状態、中世の武士団から男性祭祀が始まる、中世の商品経済以降に、遊郭が発展する……などの指摘を参考に男女交際の歴史を再検証する。
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